たら本46 「つい、うっかり」 〜 ホフマン「悪魔の霊酒」

written by overQ

「つい、うっかり」
…というのは、いたくフロイトの興味を惹くものだったようです。
錯誤行為、と精神分析では呼ばれます。
うっかり…偶発的におこなっているように見えて、
じつは無意識の意図がある。
そう勘ぐってみるのが、フロイトのやり口。

でも、古代から人は、何となくこのことに気づいていたらしい。
悪魔(=神)は最初、「つい、うっかり」の形で、囁きかける。
「魔がさす」という。
事件のあと、当事者から発せられる「つい、うっかり」は常套句。

それに運命もまた、
「つい、うっかり」の姿で来訪する

神様は「つい、うっかり」な仕方で、世界を設計したのだから。
天網恢々,疏にして漏らさず。


偶然の形でおとずれた、さまざまな出来事が、
やがては、ひとの人生、人類の歴史をも決定していく。
あとから眺めてみれば、けっして偶然ではなかった、
それは「宿命」とでも呼ぶほかないもの。
神の見えざる手のしわざ。

よく出来た小説というものも、そんなふうに書かれます。
ささいな偶然が積み重なって伏線となり、
やがて大きな事件へと登場人物たちを誘導していく。
神話なんかだと、明確で大きな「しるし」であるものが、
小説ではさな小さな偶然…「つい、うっかり」としてそっとかれます。
しかし、やがてそれらが、決定的な意味を持つ。ミミズの小さな小さなトンネルが、巨大な地形をも変えていくように。*1

探偵小説はたぶん、形式として
もっとも小説らしい小説…「小-説」の雛形であるわけですが、
「小さな偶然」「つい、うっかり」が鍵になっている。
それらがじつは運命を導く「しるし」であったと気づく
…それが謎を解く、探偵(=フロイト)の仕事。

  +

「つい、うっかり」
今回のお題で取り上げてみるのは、ホフマン「悪魔の霊酒」
つい、うっかり読み出したら止まらない、ものすごく面白い小説です。
背徳の焼けつくような愉しみと、
報いから逃げに逃げる犯罪小説でもある。*2
そして最後まで読み終えると、
予想もしなかった荘厳な場所へ連れていかれる、神秘主義の奥儀。
「悪魔」というものが実在することを確信する…そして、神、もまた
…そんなやばい小説でもあります。
埋もれた傑作…というものがあるとしたら、この作品こそがまさにそう。

2006年に文庫本が出て、読みやすくなりました。
たぶん、すぐ絶版になってしまうので(笑)、買うなら今しかない!
…といっても、「文庫のくせに1000円異常」で、私にとっては許しがたいお高さんではありますが。

+

エルンスト・テーオドール・アマデーウス・(E.T.A.)ホフマン
19世紀初頭のドイツの怪奇幻想文学の鬼才。ロマン派の代表的存在。
モーツアルトと同じ「アマデウス」の名を持つのは、
彼がほんとは音楽家になりたかったから。
(津原泰水をふと連想します。)

作風は、今のホラーやファンタジー映画と、限りなく近いテイスト。
幻想や恐怖を映像(ヴィジョン)化した世界。
視覚聴覚にうったえる、動的なイメージの氾濫…が特徴。
四季さんがこないだ記事にしてたマイリンク「ゴーレム」などは、
ホフマンの絶大な影響下にあります。)

むかし出会ったことのある人間たちが、醜く歪んで気違いじみた顰め面を見せながら、立ち現れた。−どれもこれも、頭だけの姿で、その耳のすぐわきから生え出たコオロギの脚であたりを這いずりまわり、わたしのほうをむいては陰険な目つきで笑うのであった。−奇妙な形の鳥たち−人間の顔をもつ鴉たちが空中で騒いでいた。…
騒ぎはますます気違いじみていき、さまざまな姿の化け物たちは、いっそう奇っ怪で奇抜な形に化け、人間の脚をして踊りまくる小さな蟻から、ぎらぎら光る目をもつ長い長い胴体の馬の骸骨まで、それはさまざま。この馬の骸骨の皮はそれがそのまま鞍敷そのものになっていて、光を放つフクロウの頭をした騎士が乗って跨がっている。−底の抜けた盃がその騎士の鎧−逆さまにした漏斗が兜。地獄の悪戯もここに極まれり。わたしじしんが笑う声が聞こえる。

「悪魔の霊酒」についていうと、デヴィッド・リンチの作品群、
ロスト・ハイウェイ
マルホランド・ドライブ
インランド・エンパイア
…広義の、真正のホラー(運命から逃れたい=捉われたい)…
にとてもよく似ていると思いました。

とある修道院。
そこには宝物を納めた部屋があり、
いにしえから伝えられた聖者の遺物などが保管されている。
…といっても、おそらくその多くは「にせもの」。
よく考えてみれば、ここにあるはずもないもの。
管理をまかされた老僧にもそれはわかっていて、
しかし「にせもの」でも信仰のきっかけになることがある
…というような話を主人公に話し聞かせる
(この議論もなかなか見事なものなんです…ロマンチック・イロニー…この世界における「象徴・紋章」のあり方)
「しかし…」と老僧は言うのです。
悪魔の霊酒(エリクシール)だけは別だ。
これは人を罪業へみちびき、滅びの道へと走らせるものだから。
けっして、開けてはなりません、人に見せてもいけない。
そう言い残して、宝物管理の仕事を、
若い僧である主人公に引き継がせるのでした。

で、もちろん、「つい、うっかり」、
悪魔の霊酒を飲んでしまうわけです。
そして、物語は転がり始める。
主人公は濃厚な悪の美酒に酔い、
夢うつつのうち世界をさまようことになる。

…と、この先も書いてみたいのだけれど、どう書いてもネタバレになるw
知らないで読んだほうが絶対面白いので、書かないでおきますが、
このありがちな出だしから、どんどん意外な展開、
ありえない偶然が濁流のような速度と強度で、
登場人物たちを呑み込んでいく。
そんな「つい、うっかり」な偶然はないだろう、
それはいくらなんでもご都合主義にすぎるのでは
…と思えたものが、こんがらがっていき、
やがて最後に、とんでもない深みでつながりあう。
神様(悪魔)は「つい、うっかり」の方法にのっとって、
この世界を想像したにちがいない。

プロットは、たぶん今まで読んだ小説の中でも、もっともすごいもの。
ホフマンは貧困のさなか、猛烈なスピードでこの長編を仕上げており、
天上のアイデアをかすめとり、奔流のようにほどばしる。

フロイトはホフマンに強く魅了されていた。
ホフマン作品に圧倒されてしまう自分が嫌で、
それから逃れるために「理論」を作ったようなもの。
(「不気味なもの」というフロイトのホラー論、
とくにドッペルゲンガーについてが、それ。)
でも、結局、ホフマンの爆発的な奔流に押し流されたかなあ。
フロイトはこの作品にカオスを見出すのだけれど、
「悪魔の霊薬」は巧妙に仕組まれたコスモスかもしれない。

あたしが話題にしているのは、世に意識と名づけられている特殊な精神機能のことなんですぜ。その特殊精神機能ってのが、じつはほかでもない、外国関税徴収官−もしくは内国関税徴収官−もしくは国家監査役長官補佐なんて手合いに見受けられる、いまいましい活動とまったくおなじことをやらかすわけなんでしてね。…
どんな商品でもそれが外へ出ていこうとすると、『おい…こら、こら…輸出は御法度だぞ…国内で、国内でやれ』ってなことをぬかすんです。−こうなっちゃあ、いかに美しい宝石でも、つまらない穀物の種子みたいに、地面の中に埋められてしまい、芽生えてくるものはっていえば、せいぜい砂糖大根くらいのもの…

というくだりは、超自我の理論を思わせますが、実際、フロイトはこの部分を抜き書きしています。パクった、とも言いますね。

「悪魔の霊酒」は、同じ話が何度も何度も繰り返す。
輪廻転生するといってもいい。
同じ罪業(カルマ)を背負ったキャラクターが現われ、
少しずつ形を変えて、物語は変奏されていく。

以下は私の読み方で、ひとつの解釈にすぎないのですが、
探偵と犯人のたとえを通じて、作品の仕組をメモっておくと。
(作品を読んでないと、わけわからないかも。
具体的な話はないので、ネタバレはたぶんないです。
すごく抽象的…リンチ作品の解釈を思いつつ、書いてみるので。)

犯人は、「つい、うっかり」な偶然を通じて、
結局いつも同じ運命にからめとられてしまう。
どのシチュエーション(偶然の集積)でも、
同じ罪業が再現。
いわば、どのようにカードを配っても、
結局は同じ手で上がる(破滅する)
ことになる。

しかし、主人公は絶えず、
その運命(カルマ)から逃れようと悪戦する。
その偶然、その巧妙が、じつにスリリング。
背徳の喜びを読者に与える、悪魔の書になっています。
別な人物になりかわること(IDのすり替え)によって、
罪から逃れようとする。
そして、それを見抜くのが「探偵」の仕事。
輪廻するのは自我の仮面ではなく、カルマのほう。
ちがっているようにみえても、それらは同一犯。

ところが、驚くべきことに、
この作品で、探偵とは、犯人自身
因果の応報から逃れたい気持ちとは裏腹に、
罪業の謎を解き明かし、
報いを真正面から一心に受け止めたい祈りもある。
逃げたがると同時に、追いかけている。

「別な人物」になりすましたつもりでも、
やがて偶然の集積が、同じ罪を繰り返させるという反復する宿命。
表面の仮面はすり替えられても、カルマは何度でも転生し、
「解決」されるまで、罪業は繰り返す。*3

こうして、自分自身との鬼ごっこ、
かくれんぼのような様相から、
さまざまなドッペルゲンガーのバリエーションが生じる。
一方が存在すれば、他方は存在し得ない…はず。
しかし、それはカードの表裏のように、本来は
「たったひとつのもの」なのかもしれない
…これがこの小説を解く鍵。
いろんなレベルで、いろんな「ダブル」があらわれ、
小説はもつれにもつれたプロットを呈しますが、
おそらくすべての謎は解き明かされる。

  +

実体的な形では、この小説には、
悪魔も神もあらわれていない
…はずなのに、読み終われば濃厚に、
それらの気配のうちに放り込まれる。
もっとも、物体と同じように悪魔や神があるなら、
現代だって誰もがそれらを信じる
だろうから。
そうではない形、姿で、それらはある(=ない)。
悪魔のエリクシールは、ただのワインかもしれない。
そして、ただのワインは、悪魔の霊酒。
表と裏は同じ一枚のカード。
うっかりとさだめ、偶然と運命、逃げるものと追うもの、
罪業と恩寵、悪魔と神が、
表や裏を見せながら、高速でかけめぐる傑作です。

なお、霊酒…エリクシールというのは、錬金術では、
卑金属を黄金に変える秘薬のこと。
小さな「つい、うっかり」を、業火をくぐらせて、
神の恩寵へと錬成する。
卑小な人の小宇宙(運命)と、偉大な神のコスモス(摂理)をつなぐもの。
すなわち賢者の石と同じものとみなされていました。

¶ Footnotes:
  1. 「小説」とは、中国では、皇帝の宣べる「大説」に対し、巷間で名もなき庶民が話しては消える噂話、立ち話、あるいは井戸端会議の言葉。しかし、小さきものの堆積が世界を作る。ちなみに、井戸は古代には、神のすみかとされ、その底に耳を澄ませば、神の声が聴き取れた。また、巷の誰ともしれない言葉のうちに、神の声を見出すのが、辻占。「つい、うっかり」の集積が、世界の正体なのかもしれない。。 []
  2. この作品と思いのほか似ているのは、故三浦元社長かもしれず、デスノートかもしれない。 []
  3. 「ツイン・ピークス」の最後。
    ロッヂの赤いカーテンの部屋で、
    エージェント・クーパーが、グルグルと逃げ回ったすえに、
    ついに「ボブ」に捕まるシーンを思う。
    それはウロボロスのように、どちらが追いかけ、どちらが逃げていたのか。 []

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  5. 「つい、出来心で」とか
    「つい、魔がさして」とか
    「つい、口がすべって」とか。
    全然そんなつもりはなかったんだよー、
    というふうを装ってはいるけれど、
    でも、それは無意識の意図。
    いつもは表面化しない
    (あるいは意識として上がってきても瞬時に消える)
    けれども、でも、確実にどこかに意図としてある。
    ってことは!?私が電車を乗り過ごすのも、
    電車内で声に出して本にツッコミを入れてしまうのも、
    偶発ではないのね。
    でも、その行為にどんな意味があるんだ?
    抑圧されている何かの解放なのか?
    うーん、たしかに、通勤電車は過度の抑圧だがな。

  6. 毎回毎回魅惑に満ちた本の紹介についアマゾンでぽちっとしたくなる衝動と戦っていて、でもこの戦いには負けてもいいのでわ?とすでに術中にはめられているわたくしです。
    これはほんとうに面白そうですね!
    わたくし、ブログをはじめて三年経って、みなさんの影響を受けているうちに自分では手に取らないような小説を読んでみて・・・なんてことを何度も繰り返しているうちにやっと小説って面白いなあとしみじみと思えるようになってきました。
    うーん、これは絶版にならないうちに・・・とは思うのですが、購入予定がつまっていてちょっとツラいです。
    そういえばヨーロッパでも輪廻転生という考え方は伝統的にあったのか、それとも東方から輸入された思想なのかがちょっと気になったのですが、東洋でもそもそもいつ始まった思想なのかはぜんぜん知らないのでした^^
    ほんと知らないことばかりですが、でもそんなことを知らなくても楽しめそうですね。
    僕は特定の知識がないと楽しめない小説ってそれは作品としての出来はどうなのか?と思わずにはいられないのですが、でもなんとなく知識の多い人の方が文学を楽しんでいる傾向にあるように思えることもあって、自分はいったいどのくらいのレベルで楽しんでいるのか・・・というのはちょっと他人を意識しすぎかなあと思いつつつい考えてしまいます^^

    • ★kyokyomさん。

      「悪魔の霊酒」は、ほんとに面白いので、おすすめです。
      ページターナーというんでしょうか、読み出したら、先が知りたくなって、止まらなくなるような物語です。
      フロイトがこの本にちょこっと言及してて、それでまあ、どんなものか覗いてみようと、軽い気持ちで読み始めたら、異様な展開でどんどん引き込まれました(^▽^)V

      この本は、神秘主義の知識があれば、べつな愉しみ方ができますが、文中にその手の言及はまったくないので、何の知識もなく読んでも、犯罪者がラッキー(悪運?)とずる賢さで運命をすり抜けていく感覚に、手に汗握ります。
      ホフマン自身は、神秘主義のマニアだったので、隠れた意図をこめているのは、まちがいないですが。

      ホフマンはドイツの作家ですが、作中にところどころイタリア名を持つ人物やアイテムが出てきます。
      どうやら彼の考えでは、神秘的なものは「南から来る」。
      ギリシャ・ローマから、いにしえのアジアの響きが、遠いこだまとなって届く…というようなイメージらしい。
      イタリアっぽい名前を見つけたら、それはホフマン作品では、神秘の扉をひらくキー。

      kyokyomさんは、図書館はあまり利用しないんでしょうか。
      私はこの頃はもっぱら図書館で借りています。自分で所有してしまうより、貸出期間を決められて借りたほうが、よく本が読めるという、貧乏症な読書ですw
      京都はわりと図書館事情はいいほうです。
      これは地域によって、大きく差があるにちがいなくて、みなさんの地域はどんな具合なのか、ちょっと興味がありますね☆

  7. overQさん、こんにちは!
    ホフマンは、以前「くるみ割り人形」を読んだ時に、バレエの可愛らしさとはまた全然違った、薄ら怖い世界に通じるものを感じてびっくりして、他の作品も読みたいなあと思ってたんです。あれはやっぱり子供向けの作品だからなのかそこまで突き詰めてなかったですけど、夢のように素敵な世界の根底には、実は何かおどろおどろしいものが潜んでる感じ…。精神的に何かある人だったのかしら、なんてことまで思ってしまいましたが。(笑) でもその時は入手可能な本がほとんどなかったんです。いつの間にかこんな本が出てたんですねえ。知らなかった。でもやっぱりさすがちくま文庫ですね。高い!
    そうか、「ゴーレム」もホフマンの影響下にある作品だったんですね。そう聞いてみると、なんだかとても納得してしまいます。いや、ほんと面白そう。これはぜひ読んでみますね。

    • ★菊花さん。

      錯誤行為。
      表面上とはちがう「意図」を勘ぐる…というのは、フロイトの生きた時代の真相=深層だったんでしょうね。
      たんにヒトがおこなう行為だけじゃなくて、この世界で起きる「偶然の」出来事にまでも、「隠れた真相」を勘ぐるのが、神秘主義。

      電車で本を読むというのは、何となく神秘的な感じがします。
      私の知り合いに起きた「本当にあった出来事」なんですが、電車でうちに遊びに来たんです。
      電車に乗ってるうちに、本を一冊読みきったというのです。

      本は、ヘミングウェイ「老人と海」(新潮文庫)。
      うすい本ですが、それでも一時間そこらはかかるはず。
      しかし、叡山線という電車は、うちの修学院まで四分半くらいしかかからないんです。
      速読のプロでも、揺れる電車の中で、そんなに早くは読めない…そもそもページをめくりきるだけでも、四分くらいはたってしまうかもしれない。

      その人の話では、駅はいくつもいくつも過ぎたというんです。
      同じような名前の駅がいっぱいあったよ、一時間半くらい乗ってた、と。
      でも、五つしか駅はないはずなんですが。名前もバラバラだし。
      輪廻の循環に巻き込まれていたとしか考えられない。
      帰りは、クルマで送ったのですが。
      あのまま、電車に乗って帰ったら、二度と目的駅につかなかったかも。
      三十巻くらいの全集とか持って乗るとよかったかもw

    • ★四季さん。

      「悪魔の霊酒」は、とりわけ四季さんには超おすすめです!
      最初は、長いし、改行も少ないし、評判もこれといって聞かないんで、つまんなかったら、途中でやめてもいいや…くらいの気持ちで読み始めたんです。
      フロイトの論文にちょこっと言及があるんで、新しい翻訳も出てるし、どんなもんかのぞいてみるだけのつもりで。

      出だしの三十ページくらいはふつうの怪奇幻想もの。
      でも、二つ目の章に入ると、じょじょに異様な展開を見せる。
      むちゃむちゃご都合主義で(笑)、そんな展開はないだろう…と思いながら、読んでると、どんどん話は加速していき、信じがたい方向へと転がっていく。
      しかも、後半になると、これがけっして「ご都合主義」ではなくて、きわめて綿密に仕組まれたプロットだとわかってくる。

      輪廻のことがわかっていると、さらに面白いです。
      転生するのは、自我ではなくて、罪のほう。カルマ。
      同じ犯罪がさまざまに反復して、「解決」されるまではヴァリエーションをもって繰り返される。
      だから、世の中は、いつの時代でも、同じ問題、同じ悩みをかかえているんです。

      ホフマンは半年くらいでこの作品を書き上げたらしく、その速度が読む側にも感染して、どんどん読めてしまう傑作になっています☆

  8. Pingback: 慧の本箱

  9. こんにちは
    overQさん 
    >「つい、うっかり」の集積が、世界の正体なのかもしれない。。 [ ↵ ]
    この作品と思いのほか似ているのは、故三浦元社長かもしれず、デスノートかもしれない。 [ ↵ ]

    さすが すごい!
    「つい、うっかり」に絡めとられて
    気がつけば 橋を渡り始めちゃった・・・
    くわばらくわばら です

    • ★慧さん。

      人間のほうが巧妙に仕掛けを組み立てても、神様のほうが「つい、うっかり」で応えてくることもあり、世間を渡るのは、ままならぬもの。
      三浦元社長はじつに不気味な結末で、鶴屋南北の世界のようでした。最後に運ばれた病院は、銃撃された女性の病院と同じだったそうです。
      …でも、この件は、あまり深入りすると、たたりがありそうなので、これくらいにしとこっと(  ゜ ▽ ゜ ;)

  10. Pingback: -scope

  11. こんばんは
    菊花さんから頂いたたら本 やっとどうにかこうにかアップすることができました
    つきましては 次回をどうかよろしくお願いさせてください