井戸の中の女神さま
井戸の底から
リングの貞子さんを思い出すことから始めたいのです。
平成に出現した、いちばん有名なお化けといっていい、貞子。
以前書いたことがありますが、
貞子は戦前の千里眼事件からヒントを得たもの。
東京帝大の福来博士がおこなった念写実験。
大騒ぎになって、博士はついに大学から出て行くハメに。
「念写」を写真じゃなくて、ビデオに収録したのが、
リングの貞子さんのアイデア。
今はDVDになり、コピーが難しくて、きっと困っておられるはず。
その上、ブルーレイとかどんどん新しくなるし、
「もうほんま、アナログ怨霊で、困ってますわ」
…というぼやきが、井戸の底から聞こえてきそう。
そう。
貞子サンといえば、井戸。
じつは、「井戸にすむ女」というのは、
日本古来の重要な伝説につながるもの。
貞子さんの怖さの持つ、深みとポピュラリティは、
この元型に根を張っていることから生じる。
今回は、この貞子の系譜を追ってみます。
お菊さんの井戸
井戸の女の怨霊というと、姫路城のお菊井戸。
皿屋敷のお菊さんです。
井戸の底から「一枚…二枚…」と恨めしげな声がする。
家宝の皿をなくした、という濡れ衣を着せられ、
殺されたお菊の怨霊。
姫路城には、お菊の井戸とされるものもあります。
お菊さんは今は、十二所神社の中に、
「お菊神社」として祀られています。
伝説のひとつでは、お菊は「お菊虫」という、
妖しい虫となって、宿敵の青山鉄山を討つ。
「お菊虫」はアゲハチョウの幼虫のこととされ、
姫路城の瓦の紋を見ると、アゲハがかたどられています。
姫路藩主池田家の家紋が、揚羽で、
姫路市はジャコウアゲハを「市蝶」としています。
アゲハの幼虫というのは、常世虫。
日本書紀(皇極紀)に出てくる、秦河勝の伝承のひとつ。
富士川のあたりで、大生部多というものが、
橘の木にだけ生息する虫「常世虫」を神とあがめる邪教を起こし、
これを秦川勝が討つ、というもの。
古代の播磨は、秦グループの開拓地。
この流れは、中世には陰陽道となっていく。
播磨は安倍晴明のライバル蘆屋道満はじめ、
法師陰陽師を輩出した。
晴明=道満であり、
陰陽師・声聞師たちがひろめた伝承。
さらに、祇園祭の神さまである牛頭天王は、
播磨の廣峯山からやって来た。
これも同じ系統の人々のしわざ。
姫路の飾磨のあたりに、江戸時代までは
陰陽師の薬草園があったそうです。
「お菊」の菊は、陰陽の薬草だというのです。
また、お菊さんの皿は、「毒消しの皿」と呼ばれるもの。
さらにもうひとつ、お菊さんで言い添えておきたいのは、
「菊=聞く」であること。
たぶん井戸の底を伏流する水音を聞いて、占う儀礼の名残り。
日本書紀の菊理姫とのつながりも、考えておきたいところ。
黄泉からイザナギを追って狂女と化したイザナミを静める、泉守の女神。
さらに播磨風土記の古理売(コリメ)。
大将軍と十二所、牛頭天王と八王子
まだまだ、この井戸は深みがある。
お菊神社のある十二所神社。
十二所というのは、ふつう熊野の十二所権現ですが、
姫路の十二所神社は、独自の由来も伝えます。
社伝によると、928年(延長6年)疫病の流行に里人が大変苦しんでいたところ、一夜にして12本の蓬が生えた。そこに、少彦名神が現れ、この蓬で疫病を治癒すべしとの神託があった。神託通りに里人の病は癒え、感謝した里人が少彦名神を南畝町字大将軍に祭祀した。
大将軍。
十二所神社の近くに「大将軍橋」というのがある。
大将軍神社があるからこの名がついた。
地元の人も忘れきっていて、私も全然ちがう話を聞いてましたが(-_-;)
大将軍神社は、十二所神社のお旅所となっています。
説明すると長くなるので、結論だけ言うと、
この「将軍」とは、蘇民将来型の伝説の陰陽道バージョン。
大将軍と十二所は、牛頭天王とその王子たちのことです。
祇園祭の神さまたち。*1
「将軍」となると、とりわけ方角を守護する神で、
京都にも平安京の四隅などに配置されています。
十二とか八とかが好きな数字。
十二神将、将軍八神社。勝軍地蔵もこの仲間。
仏教と習合するときは、たぶん「不動明王と八大童子」。
陰陽は、星辰の動きと方角の解析から、
日々の良し悪しを暦とする術で、
占星術のようなものであるため、どんどん複雑怪奇になっていく。
その途上で、重要な秘数が、十二と八。
(なんて、はしょった説明だ…汗)
蘇民将来
陰陽道のほうはややこしいんですが、
元にある蘇民将来型の伝説は、わかりやすいです。
みすぼらしいなりで旅する神さま。
牛頭天王とか武塔天王とか呼ばれます。
大元は天神で、巡行する太陽ですが、
それは今はどうでもいいこと。
この神さまが、コタンとソミンの将来兄弟に、
一夜の宿をこう。
長者のコタンは、今夜は物忌みをしなければならないと、
神を拒みます。
貧しい弟のソミンは神を迎え入れ、
粟飯でもてなしました。
さて、神さまはさらに旅を続け、竜宮城に至ります。
そこの乙姫さまと恋に落ち、八人の子供が生まれる。
八王子を引き連れて、神は凱旋し、
コタンの家を疫病で滅ぼし、ソミンの子孫に繁栄をもたらす。
陰陽道の秘儀書「ほき内伝」や祇園の縁起に記された物語。
八王子を引き連れ戻ってきた神の軍団が、将軍です。
お菊さんの正体、少将井
さて、お菊さんに戻るのです。
十二所神社に祀られた、井戸の女神のお菊さん。
牛頭天王と竜宮城で結ばれる乙姫さまは、
婆梨采女(はりさいじょ)、あるいは少将井と呼ばれます。
少将井。
これは、京都での呼び名。
祇園祭で巡行する女神さまで、牛頭天王の妻であり、
八王子のお母さん。
烏丸にあった、名水で知られた井戸が、少将井。
「後拾遺和歌集」の歌人のひとり、少将井の尼が、
ここに住んでいたから、この名がある。
(…と言われていますが、どうなんだろ。
大将軍=牛頭天王に対して、
少将=八王子で、
井戸は王子たちの母胎である婆梨釆女を表わしてるんでしょう。)
少将井は、水の女神、井戸の女神で、
祇園の神輿をこの井戸の上に置いて、
そのあらたかな霊験にあやかるのです。
子供(八王子)をさずかる、というイメージかもしれません。
今は京都御所内の、宗像神社に移されています。
宗像といえば、三姉妹の神さまで、海と水の女神。
おもしろいことに、少将井のお隣には、繁盛稲荷が祀られ、
そのお隣は琴平さん(海の航路の神)が祀られる。
金比羅ー班女(繁盛稲荷)ー少将井。
この三神と、宗像神三姉妹を重ね合わせてあるようです。
ともあれ、井戸の怨霊となったお菊さん。
もとは、少将井と同じく、
八王子の母神である、婆梨采女である、ということ。
そういえば、名水の井戸は、
「菊水の井」と呼ばれることが多いのです。
これも偶然ではないでしょう。
班女の面、針才女
さて、お菊さんの次は、繁盛稲荷こと班女さん。
「班女」は能で有名な狂女。
京都には、班女塚、班女の井戸と呼ばれるものがある。
班女が身を投げた井戸、と言われています。
また、この地に住まい、独身のまま死んだ女の棺が、
運び出しても運び出しても、ここに戻ったという伝説も(宇治拾遺物語)。
おどろおどろしい伝説の井戸で、
まるでアキラの絶対零度のデュワー壁のように、
巨大な石で封印されています。
荒神である王子アキラの復活を恐れているのです。
でも、すぐとなりには一転して「繁昌神社」が赤々と祀られてもいます。*2
井戸の中の女神さま。
少将井と同じで、もとは八王子の母神だった。
「雍州府志」「京羽二重織留」といった17世紀の京都紹介本に、
班女は、弁財天の別名「針才女」がなまったものと書いてある。
中世には、功徳院という真言の僧が守っていたとも。
この「針才女」は、あからさまに婆梨采女のこと。
班女塚の井戸は、少将井と同系の伝承だった。
江戸時代に入ると、そのことがもう、よくわからなくなりはじめている。
でも、「はりさいじょ」の音は残っていて、
母神さまが住んでいる井戸でありつづけたこと。*3
「将軍」(牛頭天王+八王子チーム)は、疫病神でもあり、
またそれを退散させるものでもあるという、
「鬼=鬼退治」の性質を持つ神。
母神も、祟りとご利益の両義的性質を持っています。
お菊さんも、班女も、そして鉄輪も。
鉄輪の丑の刻参り、橋姫
さらに。
井戸にまつわる怖い女といえば、鉄輪。
これも京都にあります。
民家の間にある、ものすごい細い路地を行くと、
その奥に真っ赤な柵でおまつりされた井戸がある。
これが、鉄輪の井。
嫉妬に狂った女が、
真っ赤な衣をまとい、
顔を朱に塗って、
頭には三本足の鉄輪(=炉の足)をかぶり、
そこにろうそくを差して灯す。
そして、鬼と化す。
丑の刻参り。
この生霊と戦うのが、陰陽師・安倍晴明。
能では、人形をもって戦うのは、晴明のほうで、
この人形はたぶん、もとは式神なんですが。
ともかく、ここでも、
「井戸、陰陽、女、怨念」といったアイテムが出てくる。
女の胎には、子供(八王子)が宿っているにちがいない。
鉄輪は、鉄の輪っかに三本足がついたもので、
薬缶などを載せて、火にかけるもの。
本来は、「炉」の三脚で、
鉱石から金銀や鉄などを取り出すとき、使う。
鉄輪の女は、金属という子をはらんだ鉱石=母、
あるいは、炉=母胎と見立てたもの。
□AZ::Blog はんなりと、あずき色☆: タラをめぐる冒険7「三本足の秘密」
秦グループは、鍬や釜や鎌など、鉄器作りが得意。
鍛冶の秘術は、西洋の錬金術とよく似た神秘主義で伝えられ、
「真っ赤に燃え立つ母なるもの」というイメージは重要でした。
炉を構えるには、井戸も必要で、
「子を孕む母胎」のアナロジーが、あちこちに飛び火しています。
真っ赤に塗って、ろうそくを頭にさす、
丑の刻参りのコスチュームは、「橋姫」にも出てくる。
橋に出没する妖怪、もともとは女神で、
川の神であり、橋という土木を担当するものの神。
宇治川の橋を作った人たちの伝承なんだと思う。
能「鉄輪」で用いる面は、「橋姫」と呼ばれます。
鉄輪=橋姫。
たぶん、妖怪のウブメもおおむね、この等号で結んでいいのです。
橋姫、夕顔、御息所
さて、ここで唐突に源氏物語が登場します。
橋姫は源氏の巻のひとつ。
ところで、鉄輪の井がある場所は、
夕顔と光源氏の逢瀬の現場のすぐちかく。
徒歩1分くらいの近さです。
夕顔はそこで六条御息所の生霊に取り殺されるのですが、
この御息所の生霊の発想のもとが、鉄輪なんだと思われます。
紫式部は、御息所の物狂おしさがよくわかる女だったかもしれません。
源融の塩釜のあった河原院も、このあたり。
夕顔事件の現場であり、源融は光源氏のモデルとよく言われます。
五条橋(今の松原通の橋)と六条のあいだでは、
傀儡子が人形劇を流行させ、中洲に晴明を祀り、
すぐ南には市があり、顔なき人の出入りがさかんな場所。
民間陰陽のメッカといってもいい。
市といえば、市姫神社もすぐ近く。
さらに、菅原道真の怨霊が最初により憑いた
巫女の「文子」の住居もこのあたりで、今は文子天満宮。
女神さまたちのメッカなのです。
鉄輪ー塩釜趾ー市比売神社ー文子天満宮。
このコースは、徒歩で一時間半くらいでめぐれます。
かなりマニアックな観光です(・∀・)
とくに「鉄輪の井」は、まさに私有地侵入で、
京都で五番目くらいにドキドキしますから。
しかも、呪いとか言いつつ、
ぜんぜんフツーの民家の日常が、
三メートル隔てて存在しています。
この感覚が、日本の庶民の伝統なんだろうな。
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烏丸通りの井戸の女神たち
さて、少将井に戻りますと。
少将井があった場所は、烏丸通り。
丸太町から下ル、京都新聞本社ビルのあたりです。
「少将井御旅町」という地名が残っています。
また、京都新聞ビルの北、地下鉄の降り口に、
「少将井跡」の碑が設けられています。
少将井から烏丸を下ルと、
御手洗井という井戸が出てきて、
これも祇園祭の御旅所のひとつらしい。
さらに下ると、大政所御旅所。
ここは本来の祇園祭では重要な場所。
少将井の母神をのせた神輿と、
牛頭天王をのせた神輿は、この場所で逢瀬。
巫がたくさん住んで、井戸の神を祀っていたらしい。
烏丸は太古は川だったらしく、
良い井戸が並んでいて、
これが水の神・婆梨采女が少将井となる呼び水となった。
さきの班女の井戸も、烏丸のすぐ西にあります(高倉室町西入る)。
もともとは、神泉苑が竜宮城に見立てられていたんですが、
烏丸通に住みついた巫のものたちが活躍した時代がある。
井戸を掘るのは、秦グループの得意技で、
中世でもまだまだこの技術は伝承されていたのかもしれません。
ちなみに、大政所御旅所の近くには、
ビルに埋め込まれた匂天神が祀られています。
これは天神さん・道真公の妻が神となったもの。
「匂」は、梅のことでしょう。
またしても、女神だらけ。
「大政所」は、秀吉の母のことですが、
彼女は牛頭天王・婆梨采女を信仰していました。
愛知の牛頭天王の社、津島神社に、
寄進した祠があります。
たぶん、自分が「王子=秀吉」を生んだ
少将井=婆梨釆女と思っている。
ここには、悪王子をめぐる伝説もあり、
秀吉はまるで悪王子のようなんですが
(当人もきっとそう思ったはず)、
長くなったので、これはまた別な機会に。
悪王子はたぶん藤原氏とつながるので、
さらに複雑怪奇です。
大梵天王は 中の間にこそ おはしませ
少将井波利女の御前は 西の間にこそ おはしませー梁塵秘抄
軽い調子で書いてきましたが、
けっこう重要な論考となったかも。
日本の民衆の歴史の中核的なところに、
蘇民将来型伝説の変遷が位置しています。*4
古代から近世はじめくらいまで、
神話が伝説や民話、
能や歌舞伎へ保持・変換されてきたかを、
ある程度、具体的に示すことの可能な例のようです。
それにしても、お菊井戸が、鉄輪や班女を介して、
祇園の牛頭天王・婆梨采女につながるとは!
これを広めたのは、陰陽に関わる、
顏なき人々であることも、ほぼまちがいないところ。
貞子さんの言うように、たしかに井戸は深いのです。
そして、水脈はひそかにつながっている…













あ、わたくしも姫路城の井戸見ました。
てっきり「番町皿屋敷」という江戸の話だと思っていたので、その井戸の説明を見たときには驚きました。
というか類似の話があちこちにあったのですね。うーん、面白いです。
姫路城のお菊井戸。
…じつは、明治だか江戸の終わりだかに、この井戸が「お菊さんの井戸」ってことになったらしいです。観光用に。
衝撃の事実w
あまりにも、ロケーションがよすぎますから。
お城の真正面。
そもそも、皿屋敷のお話とも合わないし。
皿屋敷でも、お岩さんでも、八犬伝でもそうですが、江戸の物語を作る人たちは、全国津々浦々の民間伝承によく通じていました。
逆に言えば、その頃から「不思議」になってきていた。
それまでは、もっと生活に密着した当たり前の信仰だったもの。
これから数回、牛頭天王をめぐって、かなり重要な「秘密」を語る予定です。
この問題に関して、なぜだか私が第一人者と化しているようなんですよ(笑)
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鎌倉の地理と歴史を妄想している亀子です。
今はキリシタンに夢中です。 (&)
針供養を調べていてこちらに来ました。
とてもおもしろかったです。
地図で「女神通り」って言えそうなくらいの密集ぶり。
さすが京都ですね。その西に天使突抜があって、その北
あたりに南蛮寺、キリスト教会があったのではないでしょうか。
女神様が大事に保存されているのはマリア様の影響がある?
下のは、私が書いた鎌倉のお岩さんと、お菊さんです。
http://homepage.mac.com/kamekokishi/oiwa.html
亀子さん、いらっしゃいませ。
南蛮寺、「女神通り」のすぐ西で、ほとんど同じテリトリーといっていい場所。
祇園祭の鉾町のど真ん中ですね。
マリアさまの信仰…処女懐胎して神の子が生まれる、というのは、
昔の日本人には案外、受け入れやすかったのかもしれません。
室(むろ)に閉じこもり物忌みをする巫女のもとへ、見えない父神が来訪して、神の子(あるいは託宣)をやどす…というのが、古来からの日本の神様のパターンで、これとキリスト教は、なぜだかよく似ていますから。
祇園祭も、見えない牛頭天王が八坂から運ばれて、井戸の女神「少将井」と結ばれ、王子が生まれる(天王の再生)というのが、おおもとの形のように思っています。
薙刀鉾で先頭を行く稚児さんは、「生き稚児」と呼ばれるんですが、これが人間の姿になったという意味の「生き」らしいんです。(「生き神」と同じ。)
キリスト教と古い信仰とはうまく習合することができたし、逆に「隠す」こともやりやすかったのでは…なんて妄想しています (*)