奇書の旅#003 「聖なる十字の称賛について」

この世にたった一冊しかない本。
「奇書」といえば、これが最初の定義かもしれません。
印刷技術が発達して、同じ本が大量に存在する時代とは、まったくちがった書物の意味。
前回の「奇書の旅」で取り上げた、ユング「赤の書」。
ユングが入念に手書きした彩色本であり、この世にたった一冊しかない。
何のためにユングがこれを書いたかというと、なかなか説明するのが難しい。
人に読ませるために書いたわけでもないし、万人に共有されるべき知識が保管されているわけでもない。
自分のために書いた…とさえ言いにくくて、むしろ神々のために書いた…書かされた、というのが当てはまりそうな表現です。
ゴッホが絵を描く理由とそれは似て、近代的には病理学の言葉でしか説明できないのかもしれない。
しかし、このような書物製作の伝統は、どうやら古くからあるもの。
ユングはそれにのっとっただけ、と言ってもいいのです。
神殿を建てるように…あるいは、もっと素朴に、路傍に名もない神の祠を建てるように…お地蔵さんを祀るように、書物を生み出すこと。
9世紀の修道士ラバヌス・マウルスもまた、そのような書物を手作りしています。
十字架にとりつかれた人。
この書物は、Liber de laudibus Sanctae Crucis。
「聖なる十字の称賛についての書物」。
グラフィック・デザインの本を読んでいたら、タイポグラフィーの先駆として、この本が出てきました。
他の「デザイン本」の中で、この本だけが圧倒的に異質だった。
理由は、「本気」だから。
現代のデザイン本が「美」のまわりで戯れているのに対して、この書物だけが門の向こう側へ堂々と侵入していた。
ロゴやマーク、あるいはそもそも文字の起源。
それは呪符にあるらしく、陰陽師の用いるドーマンセーマン(☆や#)は世界に広く分布したお守りのしるし。
十字もまたそうで、キリスト教がどこにその生命の根をおろしているか。
…そんなことを思いました。
ラバヌス・マウルスという修道士について、まったく知りませんでしたが、ネットで調べてみると、キリスト教世界では大物といっていい人物。
少年のころから、修道院に「奉納」された子供であり、教会が蓄えた東方からの富…すなわち膨大な文献の中を泳ぎ渡り、たくさんの著述を残した人で、「百科全書」も製作しています。やがてマインツの大司教となる。
◇Rabanus Maurus – Wikipedia, the free encyclopedia
◇Medieval Bestiary : Hrabanus Maurus
マーラーの第8交響曲に用いられていることでも知られる、有名な賛美歌「来たれ、創造の主なる聖霊よ Veni Creator Spiritus」は、彼の作だと伝えられています。
Veni, creator spiritus,
Mentes tuorum visita;
Imple superna gratia,
Quae tu creasti pectora.来たれ、創造主たる聖霊よ
人間たちの心に訪れ
なんじのつくられし魂を
高き恵みをもってみたしたまえ
「なぜ本を作ったか」に対して、これが答えとなりそうです。
精霊がやって来たから、と。
どれほど「本気」で本が書かれているか。
教皇ベネディクト十六世が今年の六月の一般謁見演説で、この偉大な修道士について、説いています。
たいへん要を得た、感動的な演説。
◇教皇ベネディクト十六世の180回目の一般謁見演説
最後のあたりの引用が、なるほど、これがこの本を書いた人の言葉だと、納得すること、しきり。
観想をないがしろにする人は(qui vacare Deo negligit)、神の光を見ることができません。さらに、慎みのないしかたでさまざまな心配事に心を奪われ、騒がしいこの世のことがらに思い煩う人は、目に見えない神の秘密をけっして究められないように定められます。






