奇書の旅#004 柳田国男「遠野物語」
稀書、奇書、貴書
遠野物語は今年で百歳になる。
明治43(1910)年、わずか350部のみ自費出版された遠野物語。
再版されるのは、ずうっと後の昭和10(1935)年で、この小さな本は長い間、「稀書」でした。
内容からいっても、奇譚を集成した「奇書」。
柳田国男の著作の中でも、はじまりの頃にかかれた、孤立した書物。
テクストとしても特殊で、そもそも柳田が作った話ではなく、遠野でカタられた話を、佐々木君から聞いて、それを「一字一句を加減せず感じたるまま」書き記したもの。
この本の主体、作者や語り手が誰なのかは、考えれば考えるほど、雀の羽の色のように曖昧になる。
350部だけ存在した稀覯本であった頃には、この本はカタリ…つまり、カタられる間だけ存在し、次の瞬間には消えはて、ただ人の思いの中でだけたゆたい、改変され、つねに「読まれて」いるもの…と、ほとんど同値の姿で、存在=非存在していました。
柳田国男、36歳、官僚
当時、柳田国男は、36歳。まだ民俗学者ではなく、エリート官僚。
農民が自営し、組合を通じて経済的に独立できる環境を整備すべきだとする、画期的な中農論をかかげる、目のキラキラした青年農務省官吏として出発した、柳田国男。
しかし、地方小作農を、近代化ための安い労働力として重宝していた明治政府には、受け入れられようもなく。*1
やがて、実質的な左遷状態となって。
法制局で山積みの文書から恩赦に向いた犯罪者をリストアップしたり、内閣記録課で内閣文庫の広大無限な古書と戯れたり。
…「石神問答」「遠野物語」を出版した明治末ころ。
三年後には、貴族院書記官長という、外から見ればたいへん高い地位に就きますが、柳田自身はそれを「閑職」と呼んでいます。
官吏としての彼の望みは、農民の貧しさを根絶することにありました。
上司との折り合いも険悪で、休日には世田谷の代田あたりを散歩して、ダイダラボッチの足跡を探し、しんみりと歩いている、奇妙な高級官僚。
その胸のうちに宿っていた、くるおしいもの。
のちに民俗学と呼ばれる日本の記念碑的業績は、この「在野の」学者によってもたらされる。
好事家たちの列へ
柳田の最初の三つの本、「後狩詞記」「石神問答」「遠野物語」は、どれも奇妙な書物です。
秘本、私家版、往復書簡、聞き書き…と、「作者」であることにこだわりがない。
また、本という形に定着しなければ、やがて消えてしまうものであり、おそらく本の形にした途端、その本性の半分は死んでしまうもの。
柳田にとって書物とは、近代的な出版物ではなくて、江戸期の和綴じ本のこと。
耳嚢。宿直草。諸国百物語。甲子夜話。伽婢子。…。
実際、そういった徳川時代の無数に存在する(そして、近代化の中で埋もれていった)奇譚集に、「遠野物語」はよく似ています。
記紀や風土記から始まって、今昔を通り、江戸の好事家の著作や落語家の咄までさまざまにバリエーションを生む、不思議愛好の徒の列。
柳田がひそかにここに加わっていることは、ユングがけるとから続く魔術師の列にあるのと同様、そっと心にとどめるべきこと。
江戸後期の文人、好事家たちは、「万巻の書を読み、万里の道を往く」ことをたしなみとしていましたが、その伝統の最後の伝承者である、柳田国男。
学校にも行かず、近所の素封家の書庫で、膨大な古書を読み漁っていた、不安な少年期。
何の運命か、官僚となってからも、内閣図書の何百年かけても読み尽くすことのできないほどの古書に再会します。
こうした書物は、近代化の中で、ほとんど顧みられることがなくなっていた。
柳田の文章には、ほかの学者の論文ではあまり見られない、レアな書物の引用が頻出する。
彼はこうした本の最終伝承者でした。*2
カタリの世界
わが九百年前の先輩『今昔物語』のごときはその当時にありてすでに今は昔の話なりしに反しこれはこれ目前の出来事なり。たとえ敬虔の意と誠実の態度においてはあえて彼を凌ぐことを得という能わざらんも人の耳を経ること多からず人の口と筆とを傭いたること甚だ僅かなりし点においては彼の淡泊無邪気なる大納言殿かえって来たり聴くに値せり。近代の御伽百物語の徒に至りてはその志やすでに陋かつ決してその談を妄誕にあらざることを誓いえず。窃にもってこれと隣を比するを恥とせり。要するにこの書は現在の事実なり。
-「遠野物語」序文
350部の自費出版にしては大仰な序文ですが、この宣言にはもちろん諧謔の風味を読み取るべき。
例えば落語家が襲名の際に、かつて同じ名を負ってきたものを「あの馬鹿どもとおんなじ名前で」といえば、それは先行者への敬愛と、伝統に連なる自負が表明されているわけですが、ここでも同様に柳田は少年期より親しんできた江戸の奇談集を「妄誕」と罵倒しつつ、じつはかの好事家たちの先轍をわが足で踏み直しつつあるという感動がある。
「これはすべて本当のこと」というのが、奇談をカタる際の常套で、現在ならば「新耳袋」の著者は、この序文と同じ文句を吐くことができるはず。
私が稚ない頃に最も敬慕していた一女性などは、伊呂波も書かぬ程の無筆であったが、一度読ませて聴いた草冊子は皆会得して、誰よりも上手に絵解きをし又註釈をしただけで無く、四書や小学の素読を監督して、どしどしと私たちの読み違いを正すほどに暗記していた。
─「口承文芸とは何か」
「幼い頃に最も敬慕していた一女性」とは、母のこと。
柳田は母親のことをこんな風に書く。
稗田阿礼のように彼女はカタリができた。
柳田は平家物語の語り部や、日本最大の文書アーカイブが、死んだ書籍でなく、塙保己一という生きた盲目の人であったことをあげ、カタリとしての言葉の有り様に思いを馳せます。
誰がカタるのか
「遠野物語」を大きくフィーチャーしたのは、吉本隆明「共同幻想論」。
「入眠幻覚」という主体の曖昧になる状態が、この本の中で繰り返し指摘される。心理学的「誰そ彼時」。
『遠野物語』のこういった〈予兆〉譚の特徴は、たんに嘘か真かとか、なぜどうしてかという問いがけっして発せられないまま書き留められている点にあるわけではない。こういった〈予兆〉譚の背後にかならずある入眠幻覚に類する心の体験が、ついにたれのものかわからないように話の総体にふりわけられている点にあるのだ。
-「憑人論」
カタリの主体は、誰なのか。
吉本隆明が「共同幻想」と呼ぶそれを、折口信夫なら端的に、神だと唱えました。
その神はそびえたつ神殿に高く祭られたものではなく、「声」としてそこいらにあるようなもののけ。
遠野物語はそんなカタリとして、出来事そのものがカタるかのように、本の中でも外でもない場所で、過ぎる風のように響くものに思われます。
今の土淵村には大同という家二軒あり。山口の大同は当主を大洞万之丞という。この人の養母名はおひで、八十を越えて今も達者なり。佐々木氏の祖母の姉なり。魔法に長じたり。まじないで蛇を殺し、木に止れる鳥を落としなどするを佐々木君はよく見せてもらいたり。この老女の語りしには昔あるところに…
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