お菊井戸の源泉
さら井のおさらい
お菊井戸の伝承は、全国に四十ヶ所以上もあるんだとか。
このブログでも何度も取り上げてきた、皿屋敷のお菊の物語。
皿屋敷のサラは、井戸の名前としてよくある、「さら井」がもとにある…というのが、前に書いたこと。
さら井、さらし井、いさら井…地名・人名としてもままあるもので、京都太秦の「いさら井」はイスラエルのなまったもの…という楽しいトンデモ説も有名なところ。
■うしろの京都 – 京都魔所めぐり #05 「井戸の女」 | AZ::Blog
万葉集・巻9に、
三栗 の中に向へる曝井 の絶えず通はむそこに妻もが高橋虫麻呂
とあって、この曝井について、「常陸風土記」は、夏、女たちが集まり、衣をさらし干す、としるす。夏の女たち。
(「夏来にけらし。衣干すてふ天の香具山」と重なる夏の風俗で、布の漂白らしいのですが、神秘的側面がきっとあるはず…と思ってみながら、先に進む。この件はあとでもう一度触れてみたいです。そんでもって、三途の川の脱衣婆も気になるのだが。こないだの袖もぎ地蔵も。)
「さら井」「いさら井」は、さらさらと流れる水脈を連想させる言葉つき。
井戸底に聞き耳を立てる巫女を思いつつ、記紀に出没する謎の神・菊理姫が、お菊さんの「本地」では…とも空想してみました。
折口信夫によれば、菊理姫は、「くくりひめ」で、水をくくる(潜る・泳る)の女神(『水の女』)。*1
古い時代には、「くくり」「ここり」と呼ばれたものが、「きく」のほうへ変遷していく。
そこに、水脈の音を「聞く」技術…水脈をたずねる井戸掘りから、神のコトを「聴く」占術…がひそかに流れているのでは、とも憶測しました。
今回は、この続き。
百薬の長「菊水」
祇園祭の鉾のひとつ、菊水鉾。
町内に菊水の井があってそう呼ばれるのですが、京都には他にも八坂に菊水井があって、料亭「菊乃井」があります。
菊水というと、日本酒の越後新発田の造り酒屋も有名です。
ほかにも菊政宗、灘菊…と、美酒といえば菊。*2
菊と名水、菊と酒の結びつきは深く、よく知られたものでした。
「お菊井戸」という名前のつけかたは、少なくとも近世なかばくらいまでは、ごく自然な発想だった。
というか、お菊井戸と聞いたら、最初にこれを連想すべきだったんですね、今更ながら。。
いかにかつて日本で常識であったものから、遠ざかっていることか、私。
薬の水も見なれば、汲めども汲めども、いや増しに出づる菊水を、飲めば甘露もかくやらんと、心も晴れやかに
謡曲「邯鄲」
飲むからに、げにも薬と菊水の、げにも薬と菊水の、心の底も白衣の、濡れて干す、山路の菊の露の間に
謡曲「俊寛」
能で、菊水といえば、薬効あらたかな清水。常識。
植物の菊そのものにも、薬効があるんですしょうか…またしても無知ですが。
ともあれ、この水脈をたどっていくと、大元は中国河南省「菊河」から流れ出る。
かの地の水は名水としてつとに知られ、能の「枕慈童」がこれに材を採ったもの。
きくじどう【菊慈童】
1. 周の穆王ぼくおうの侍童の名。南陽郡の県れきけんに流されたが、その地で菊の露を飲んで不老不死となったという。
2. 能の一。「枕慈童」に同じ。
3. 歌舞伎舞踊の一。長唄。初世杵屋忠次郎作曲。1758年(宝暦8)初演。本名題「乱菊枕慈童」。の翻案。「広辞苑」第五版

菊慈童も、謡曲では、たしか井戸の妖精だった。
似たものに、若水…あらたまった年のはじめに汲む水は、そう呼ばれ、不老不死の露とされる。
あるいは、産湯を使った井戸というのが、天皇や名僧、伝説の英雄たちにはつきもの。
ひとりでいくつも産湯の井を持つセレブもいて、死に水と円環して、湧き出るのは常世の露。
井戸は、冥府につながる「穴」であり、小野篁は閻魔庁へ出勤する通路として出入りの井戸を持っていたし、黒沢明監督の「赤ひげ」では死んだ子の魂を呼び戻す、印象的な反魂術が井戸を用いておこなわれる(元になった民間伝承が存在するはず)。
中世には(18世紀に印刷が一般に広まり出すまでは)、人の集まる井戸端には異形の姥や聖が陣取って、歌や舞い、人形操り、縁起をかたっては、酒や薬をあきない、占いなどを行っていたようなのです。
酒を噛む天女
菊水とは百薬の長である酒。
酒をつくる杜氏は、もとは刀自。刀自は女家長で、家とは神のヤド。*3
そして、酒は女が噛んで造るものでした。
狂言「伯母が酒」は、酒売りをいとなむ伯母のもとへ、甥が鬼のなりをして現れ、酒をだましとろうとする話。
女が酒を売ること、売る相手はたぶん鬼神であること…そもそもの形の気配が感じられます。
酒を飲むことも日常の行為ではなくて、神を寄せる術のひとつ、それ自体が神の所作であった…いにしえのかすかな名残り。
酒作りには、名水。
よき井戸のそば、女が酒を「噛む」。
女が噛んで酒を醸るのが、古えの醸造法。
風土記で、天女が井戸のそばにとらわれる。
この里の比治山の頂に、井あり。
その名を真奈井といふ。今は既に沼と成れり。
この井に天女八人降り来て、水を浴みき。時に老夫婦あり。
その名を和奈佐老夫・和奈佐老婦といひき。
この老等、この井に至りて、窃かに天女の一人の衣裳を取りかくしき。
やがて衣裳ある者は皆天に飛び上り、ただ衣裳なき女娘一人留まりて、すなはち身を水に隠して、独り懐愧居りき。「丹後国風土記」比治の里
老夫婦は、天女をとりこにする…羽衣伝説だ!
ここに天女、善く酒を
醸 み為 りき。
一杯を飲めば、吉く万の病除 ゆ。
その一杯の直の財は、車に積みて送りき。
時に、その家豊かにして、土形 富みき。
故、土形の里といふ。
長者となった老夫婦は、十数年住み慣れた天女を、「お前はわしらの子ではない」と追い出す。
嘆き悲しむ天女は「奈具の村」に至って、豊宇加能売の命として祀られた、と。
羽衣伝説は全国にたくさんありますが、これがもっとも古いものらしい。
真奈井という井戸の伝説でもあり、酒を噛んで醸造する女神。*4
滋賀の余呉湖にも八人の天女が降りてきて、羽衣をかくされた一人が、人間界に残る話が伝わる。
天女の生んだ子は、なんと、菅原道真(=天神さん)になる…という新展開もあります。
井(泉)に降りるのが、天女である…という意外。
でも、井戸が「天神」を捕らえるというのは、じつは、よくあること。
つまり、雷を井戸が捕らえる話は、クワバラ井の伝承として各地にあるものでした。
雷は童子の姿恰好で。
あるいは、この伝説、母(姥)と若子が対になっているのが「完全体」で、そのどちらか一方だけが残ったものなのか、どうか。
オマンが井
皿屋敷のお菊さん。
…じつは、もと天女だったかもしれない。
井戸に放り込まれて化けて出るお菊さんは、平成になってリングの貞子となって蘇生しました。
記紀では、天の真名井で、素盞嗚命の噛んだ剣から、宗像の三女神が誕生する。
播磨には、薬師如来をまつる小さなお堂があちこちにあって、鎌倉室町のころあたりから、旅の女たちがこうした場所で、縁起にことよせて、歌や舞い、人形操りで、人の耳目を集めたらしい。
医薬の効能をうたい、よろずの悩みを占い説いては、なりわいとしていた姥たち。
もと天女であった、女たち。
お菊の物語は、彼女たちの伝承が、井戸底にかすかに残した谺のように響く。
越後でもまた刈羽郡曾地峠には、オマンが井というのがあった。これは主人が虐待をして殺した女房の霊で、傍に立ってオマンオマンと呼べば、今でもきっと水面に小さな波が起こると言いました。上州伊勢崎の付近の阿満ヶ池なども、水に臨んでアマと呼べば、たちまちその声に応じて水が湧いたと言いました。これと念仏水とは別々のようにいう人があるかもしれませんが、昔の質朴な人々は、誰かが死んだとか、怨みがのこったとかいう話をすれば、これを聞いて必ず念仏を唱えたのですから、じつは一つ話の変化と見てよいのであります。
柳田国男「女性と民間伝承」姥ヶ池と念仏水
オマン井戸の物語は(バリエーションが多々あるものの)、「オマンという乳母が目を離したすきに、若子が井戸に落ち、その科を攻め立てられて、オマンも井戸に放り込まれる」というような筋が、プロトタイプ。
皿屋敷の伝承も、その末流…ということなんですね、きっと。(累ヶ淵やお岩さんも、どうもかすかに同じ匂いがします。)
柳田はほんの一行(の三分の一)くらいで、そのことに決着をつけていて(「念仏水由来」)、いったいこんなに長々と書いてる私って何…という思いに駆られますが( ;∀;)
この説話類型の源をたどっていくと、語り、舞い、謡い、占いをおこなう「水の女」たちの声が聞こえてくる気がする。*5
姫路の古い地図…ちょっとたよりない地図だけど*6…そこには、城の南、ちょうど今の大手前通りあたりか、宿の村の西に「遊女 姥ヶ淵 児ヶ淵とて遊女あり」などの文字が見える。
遊女町があって、おそらくここには彼女たちが伝える典型的な「オマン」の伝承があったはず。
姥ヶ淵はもうないけれど、姫路城には有名な「姥石」がある。
柳田はこの本の中で、この石についても触れています。
姥石・虎石とよばれるものが、そこに腰かけてする占い石であること。
中央にくぼみを持つ石に霊が宿るという考えがあったこと。
ここから先は次回、播州纐纈城の石の枕へ。
(というか、今回書くつもりであったネタが、ふたつくらい余ってしまった…深すぎるお菊井戸。。)
