不況と、神の存在証明

written by overQ

映画「ダークナイト」のクライマックスは、爆弾の仕掛けられた二隻のフェリーのシーン。
囚人の乗った船と、一般客の乗った船。
ジョーカーは、どちらにも、相手の船を爆破できる起爆装置を与える。
いったいどちらが先にスイッチを押すか。
It’ a funny world we live in.

この状況は、ゲームの理論でよく例にあげられる、囚人のジレンマ
しかし、「ダークナイト」では、ゲーム理論と正反対の結論が出現する。

囚人のジレンマとは、こんな状況。
二人の囚人がいて、どちらも黙秘すれば、罪は不確かなまま、2年の懲役。
一人が自白し、もう一人が黙秘するなら、自白した方は1年の懲役、黙秘した方は10年の懲役。
二人とも自白した場合は、それぞれが5年の懲役。
さて、囚人たちは黙秘するべきか、自白するべきか。

○もし黙秘すれば、
  ・相手が黙秘した場合は、2年。
  ・相手が自白した場合は、10年。
○もし自白すれば、
  ・相手が黙秘した場合は、1年。
  ・相手が自白した場合は、5年。

つまり、相手が黙秘した場合でも、自白した場合でも、自分としては自白した方が得だ。半分で済む。
「自白」を選択するのが、得策。合理的判断。

ジョーカーは、自分は狂っていて、予測不能な不合理な行動をしていると、自慢げに主張する。
しかし、爆弾フェリーの仕掛けでは、驚くべきことに、市民や囚人たちのほうこそがゲームの理論に基づかない、「不合理」な行動をとる。
どちらかが爆弾のスイッチを押すことは、理論上、絶対確実な結論と思われた。ジョーカーはそう「合理的に」判断した。
ところが。人々は、囚人たちも一般客も、起爆装置のスイッチをついに押さない。

どちらの船も、それぞれの船としては、得策とはいえない判断を下したが、全体として見れば、最大の幸福(=誰も死なない、爆発しない)を選んだ、というわけ。

「囚人のジレンマ」は、パラドクス。
個々が合理的な判断に基づいて行動しても、全体としては反対に、不合理な結果を生むという逆説の例として、取り上げられる。
経済を数理的に扱うナッシュ均衡の、シンプルな用例。
ナッシュ均衡は、映画「ビューティフル・マインド」で、ラッセル・クロウが演じた天才数学者ジョン・ナッシュの理論。

起爆装置のスイッチは、理論上、押されねばならなかった。ジョーカーは「合理的に」そう信じた。
いったい何がそうさせなかったのか。
しかし、われわれは(バットマンと同様に)、あの「不合理な行動」が、不合理ゆえに信じるに足るものだと、どういうわけか理解している。いわば、超越論的に。神、という語が脳裏をよぎるような形で。*1

  +

レッセ・フェール。自由放任主義。
個々の起業家の自由な行動にゆだねれば、「見えざる神の手」が働いて、全体としての経済的繁栄をもたらす。
この経済学の古典的信念を、ナッシュ均衡はやすやすとくつがえす。
個々人の自由な行動にゆだねたのに、全体としては破滅的な結果をもたらしてしまった。もっとよい選択もありえたはずなのに。

個々のメンバー、部分部分においては、「いちばん合理的な解決策」をえらんだ…つもり。ところが、全体としては、解決どころか、まさにそれ自体が問題の原因となりうる、ということ。
核武装の問題もそうだし、温暖化防止で各国の足並みがそろわないのも、そう。
そして、今起きている世界的な大不況の嵐も、似たようなメカニズムを持っていることが、指摘されています。
個人が消費を控え、給付金は貯蓄にまわし、企業が生産ラインを停止し、雇用を切り捨てる。
これら不況のもとでの、「合理的行動」が、全体としてはまさに不況の原因そのものとなる。かくして、不況は加速していくという、スパイラル。

二十世紀前半の大恐慌では、ブロック経済、保護貿易、全体主義、統制経済。「部分部分」に分割することで合理的行動を取り戻した。
たしかにその「部分(共栄圏・共産圏)」ではそれなりの成果をあげたけれど(もっとも優秀だったのは、ヒトラーのファシズム。短期に雇用を生み、経済を復興させた。ハイル・ヒトラー)。世界全体としては、やがて最悪の結果へと至ることになる。世界大戦。ユダヤ人切り捨て。そして、ヨーロッパは帝国ではなくなった。*2

経済は、不可思議な、はずみ車。
景気のいい時、「部分」の自由な行動は、全体として、単なる総和をはるかに越えた暴走を生む。やがて破局を予感(期待?)させるような。
同じ現象は、逆向きに回る時にも起きるわけで、不況は爆発的に加速していく。

スパイラル…という表現。人はそれを螺旋や輪廻の形で無意識にイメージするようです。
この坂が下りに見えているのに、いつの間にか上りに転じることがありえ、その逆もまた真…であることを、直感しているらしい。ウロボロス。最低と最高は、一致している反対。

好景気の時は自由がうたわれる。個々の総和とかけ離れた「全体」が現れていることにも気づかずに。
逆に、不況になると、急に「神の見えざる手」は信用を失う。人の見える手で。ニューディールから、社会民主主義、計画経済、全体主義まで。いろんな手があるようで、どれも人の手。

  +

脱線したので、元に戻りましょう。
「ダークナイト」で、ふたつのフェリーはどちらも、「不合理な」選択をする。
なぜ起爆装置のスイッチを押さないのか。理にかなってない! It’ a funny world we live in.
「不合理な」を、「倫理的な」と言い換えてみる。
プロテスタンティズムの倫理、といってみても。欲得ずくでない金儲けの、個における不合理さは、全体として大いなる富を生む、ナッシュ均衡的(そう、いつもマイナス例ばかりだが、プラス例もあるのだ。ナッシュ均衡)状況。

善き神がいる。神の善があり、天国があり、たぶん地獄もある。
囚人のジレンマに、神を導入する無謀。
懲役刑の年数とは別に、「永遠」という大きな年が登場してしまう。

なんて、むちゃくちゃな、デウス・エクス・マキナ…ギリシャ劇で、とっちらかった物語を無理やり「ハッピーエンド(=そこんとこ、よろしく)」にするために唐突に登場する、よろしき神。
しかし、その神が要請される。スパイラルを「人の手で」反転するため。 数学に「無限」の概念を導入する必要があるのと同じ、理論的要請。*3

  +

なんか、神とか、言い出しとるし。ま、いつもそうですがw
話を地上に引き戻す。
ちょっと突然ですが、ダーウィン。
ダーウィンは、神とか、天地創造とかと真逆の説を唱え、人はサルから進化したといって、キリスト教原理主義者をウキーッと髪逆立たせる存在…とされている。
しかし、ダーウィンは、生物が進化の過程で、「」と呼ばれる現象を、膨大な時間をかけて獲得してきたこと、それによって、このように地上に繁栄したことに気づいていました。

つまり、個において合理的な利にかなった行動をするだけでは、種や生物全体ではかえって生き延びられない状況を生んでしまう

完全に利にかなった生物は、餌となる生き物を滅ぼして、自分も死んでしまう…そんな、わかりやすいカタストロフィーを思い浮かべるだけでもいい。
だから、生命は、個にとって有利ではなくても、種にとって、生命全体にとって、より繁栄する選択を行うよう、進化してきた。
生物は、個とその集合である社会のシステム。
その進化が成功したため、地上には生命があふれている、と。

ゲーム理論の持ち出す用例が、しばしば何となく胡散臭いのは、そこに設定されている「合理的なプレーヤー=ホモ・エコノミクス」に命が宿ってないから。
どうやら、命には、全体を個より優先させる傾向がプログラムされている。*4

「愛」や「利他」は、生物が遺伝的に獲得した本能であり、個の生存にとっては不利であっても、それによって生命全体の繁栄がもたらされる。
それをなぜだか、個が、超越論的に(神の声に導かれて…とでもいうしかないしかたで)、選択する、という不思議。
ナッシュ均衡と数学的に矛盾しない、「神の見えざる手」の正体。

  +

風呂敷、広げすぎた。
何が言いたいか…それは、起爆装置のスイッチを押すな、ということ。
ジョーカーのプレゼントは、海に投げ捨てる。それが企業家の精神であるはず。
なんだか日本では、企業も個人もどんな集団もガンガン、スイッチ押しまくってるよ( ´△`)*5
合成の誤謬」に陥らないためには、個々の企業、個々の集団、個々の人々が、「不合理な」選択をする必要があります。
男気(姉御であれ)、母の肝っ玉(親分肌ともいう)とか。意外と、そういうの。大事じゃないか。チェ・ゲバラのごとく。すでに、オバマを見てる。

  +

…以上、一度、ボツにした記事。
不況の進行があまりに理論的に綺麗なんで。
ジョン・ナッシュくらいの脳力があったなら。学術論文の形で、このアイデアを「証明」できるでは、という不遜な疑いがつきまとう。
そうできないのは、たんに脳力のなさによるのではなく、コンセプトがてんでまちがっているからだろう。そんな想い。
だって、これ、神の存在証明…神さまを呼び出す叫びでなければならないのに。

おまえはわたしの深淵の思想がどんなものであるかを知らない。知ることはできても―その思想に―おまえは堪えることができない。
―すると急にわたしは身軽になった。

「すべてまっすぐなものは偽り」と侏儒はさげずむようにつぶやく。「あらゆる真理は曲線である。時もまた円環をなしている。」

ニーチェ「ツァラトゥストラ」

¶ Footnotes:
  1. バットマンは、「すべての通話を捜査する」、いわばビッグブラザーの地位に、あの時、あった。しかし、情報的には神であるはずの彼もまた、ジョーカーと同様、人々が「不合理な」行動をすることを予測し得なかった。事後、彼はそれを承認するのだ。 []
  2. そして、西と東の「部分」が残り、しかしそれもついにレッセ・フェールに飲み込まれる。しかし、光がすべてをおおったわけではない。レーガノミクスが生み出した影…貧富の差…最も富裕な国に、ほとんど難民のような膨大な貧者が生じていたこと。能力のちがいでなく。スティーヴン・キングのホラーの源。 []
  3. それは同時に見えざる手にもなりえる。これは、カントがアンチノミーから脱出する唯一の方法として、見出した神、無限、不死。 []
  4. これは、じつのところ、「大東亜共栄圏」の思想。右翼の夢は、けっして荒唐無稽ではなく、理論的背景がある。でも、共産主義の理念もまた、こんな形じゃなかったかしら。しかし、欠けている「数学」がある。部分>全体…つまり、「全体」なんて、個にとらえられる形では、存在しないこと。この逆説は、でも、生きてみるほか、すべはない。 []
  5. 保護貿易をするなと国家レベルに対して非難しながら、企業はまさに保護貿易・ブロック経済を「合理的」に選択しつつある。 []

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  1. 人類がもう一段階進化したと言える時が来るならば、それは究極の 個より全体 が達成された時で、そうなったら、もはや人類全体が大きな群体を形成する感じになってくってのは攻殻機動隊の見すぎですよね、多分。