黒い川。
今日は午前中、株価がまたまた大暴落。
株は一年先の景気を見越すもの。
これからじわじわと生活に不況のボディブローが効いてくる。
サブプライムローンに発した、今回の事態。
金融工学の天才たちにとって、貸倒れリスクはギャンブルの対象。
ひどく単純化すれば(というより「比喩」で騙るしか理解は及ばないのだけれど)、
「貸倒れという万が一の時には、元本を保証しますから、
その保険にお金を」というもの。
アブナイところをパッケージにして、市場の商品に。
リスクあるところに、利益あり。
不安の解消のため、人は金を支払う。
安定した未来という商品を買いたがる。
高度な数学は、自他に、ありえない「ぱらいそ」を演出することができた。
どうせ、死ぬのに。われも他も。一切、空。
「虚業」と人は痛罵する。
けれど、我々だって、ありもしない価値を面白がっていたではないか。
侍とかハードゲイとか称して、浮かれていたのは、いつのことだったか。
価値がないとわかっているものについて、あえてそれを市場の神にまつりあげ、こきおろして。
ポストモダン?
バブルの時、ついこないだだ、それをして、もう忘れたしっぺ返し。
世界大戦は一次と二次と。間をおかず、繰り返したこと。
100円のものを、100万円で買うことが勝ち組の定義か、ホリエモン。
みすぼらしい髪型と服。女の趣味。
囚われた時、百科事典と白い巨塔を読んだ。
小学生だった頃の読書の再現。
その頃から、彼は、何が価値であるかを吟味することから逃避したのだ。
以降、ただただ、マネーを求め。
だってさ、マネーは、「なぜ」を問わなくても、
つねに価値であるものだもん。
かくして、100円のものを百万円で買いつづけ、
ドバイにはバブルの塔が立つ。
逆ミダス王。
手にした黄金が、すべて「ただの金属」に変わる。
いつの頃からか。
どの業界でも、よく吟味された値打ちのあるものは、売れない。
ただインパクトのあるHGな一発屋が、売れてはすぐ廃れていく。
あるいは、スノッブ向けに、無駄な付加価値と御託が過剰に付け足されたもの。
おかげで、日本人の誰の家にも、
ディアゴスティーニの一巻目ばかりが、溜まっていく。
初巻と、幻の最終巻の売上の差は、いったい何桁あるのか。
そしてセレブの家には、
ロマノフ王朝のイースタエッグのごとき、
付加価値だけでできた、ハイパー無駄なゴージャスが死蔵される。
家人の代わり、物のあふれる倉庫のような家々。
House is not a home.
それに、いや。まさか、
そうではあるまい、とは思うのだが、
小泉内閣も、「一巻目」であったのか。
法人(house)さえ繁栄すれば、人(home)は滅びても、大丈夫
といいたげな、平蔵の太鼓判。
日本を歌いたがるものが、日本を
まず滅ぼすのもまた、二度目のこと。
自党さえ繁栄すれば、日本は滅びても、
と恐慌を選挙の駆け引きに使うasshole(麻生)。
そういう社会を、我々が作った。
言い訳の余地はない。
そのまんま東が県知事になって、
「汗をかいてこい」と誰一人言わなかった県民の声をそらみみ、
「次は国会議員」という、どこかで
聞きかじってきた野心とすり替える社会。
…というような言葉。誰もきかない言葉。
黒い川に流れているかなあ。。
私自身がこのようなこと、このような言葉どおり、思ってるわけじゃないですが。
言霊…文体のもたらす気分、流れってものは、ある。
時の声、か。

October 8th, 2008 at 8:41 AM
> 何が価値であるかを吟味すること
これは、子どものころから積んでいかないと、大人になってぱっと身につくものではないですよね。。
自身を省みても、ああ、怖いです。。
「お金は寂しがりやだから、たくさんあるところに集まる」って言いますけど、もしそうなら、人とお金は仲良くなりにくいのかな・・とか思ったり。
出典が不明で恐縮ですが、釈尊がある商人に、「お金儲けはどんどんしなさい。儲かったお金で布施行をしなさい」と説かれたとか。お金は、少しくらい寂しい思いをさせたほうが、大きな良い流れを生み出してくれるのかもしれません。
October 8th, 2008 at 7:58 PM
今日もさらに株価は大暴落してしまいました。。
ただ、ここまで極端だと、数日のうちに、ある程度は劇的に戻るかもしれません…といっても3分の1くらいで、元に戻るまでには何年もかかるでしょうが。
90年代以降、日本人は真摯に価値を追究していこうという気概を、だんだん失ってきたのかもしれません。
ノーベル賞が昨日と今日、物理と化学で連続して、日本人受賞となりましたが、どちらも30年前の実績ですから。
70年代くらいまでの日本人は、やっぱりすごかったってことか。。
ミシマの文学賞も、今頃ありえたりしてw
仏教の黎明は、ブッダの頃も、アショーカ王の頃も、檀家・檀那(ダーナ)の存在が大きくて、じつはマネーと深く関わっているようですね。
「弱者を思いやる」「足るを知る」といった考えは、価値の転倒をもたらす。
自分中心に欲得ずくで人生を生き抜いてきたアショーカ王は、手にしたものがすべて黄金になったミダス王とは反対に、手にした黄金はすべて「ただの金属」に見えたにちがいない。
「そうではない価値」に気づいた。
アショーカ王は、「王は人民に奉仕せよ」とまで、言い切った人ですから。
カーストの反転。まさに仏教。
面白いことに、「金」という「ただの金属」が、市場の「価値」を象徴するようになるのは、アショーカ王の前後だという説があるそうです。
ローマとインドで金貨の質(純度)のちがいがあり、ここからマネーが発生した。
仏教は、そういう場所で、価値を吟味することから生まれたのかもしれない…と思ったりしています。
October 13th, 2008 at 3:46 PM
こんにちは。
こちらの記事、とても揺さぶられました。
書かれる文章の調子がいつもと異なることも作用していたのかもしれません。
overQさんがshosenさんへのコメントの中で70年代までの日本について書いていらっしゃいますが・・・時間を経て知(情報)は積み重なっていると思えるのに、なぜか大きな、展望が開けるような跳躍がなされることがどの分野でも少なくなっているような気がするのは単なる気のせいなのか。。
いつの時代だってどの国の人間だってしょせんは人間。今も昔もそうたいして変わらない。
と言われるてしまうと、ああそうなのか、とつい納得してしまいますが、でもやはり釈然としないものが残ります。
そういえば、だいぶ前にヴィマラー・キールティ(維摩居士)という人が主人公の小説を読みました。
この人はどうも在家の代表みたいな凄い人だったらしいのですが、釈迦の高名な弟子たちが彼を訪れて問答しても軽くいなされてしまっていたことに驚きました。
October 13th, 2008 at 9:35 PM
「情報化」というのは、情報を多様化させるとか、情報と情報を結びつけるよりも、「殺到」の原理によって、ある特定の情報を際立たせ、他を小さく孤立化させてしまうんですね(となぜか断言口調…ほんとかw)。
最近、バナナダイエットの異常なブームで、バナナが手に入らないという現象が起きていますが。
特定の情報だけが「世界」になってしまっている人々。
一方で、病的にマニアックな瑣末情報に耽溺する人も多いのですが、ジャンルを越境してコミュニケートしあい、新しい意味を生み出していく、というダイナミズムはない。おたく化。
ヴィマラキールティは、維摩経ですね。
文庫本ですごく読みやすい現代語訳があります。ごくうすい本です。
プラトンの対話篇みたいな、思想劇の面白みがあります☆彡