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9
Oct
2008

秋の夜長の洒落コワ

フレンダーの死

秋の夜長…というには、今夜の京都は蒸し暑いほど。
どちらかというと、「納涼」と言いたいくらいですが、今日はわけあって、洒落コワを読み倒しています。

洒落コワって何?
洒落にならないくらい怖い話を集める、2ちゃんねるのスレ。ネットのオカルト好きには有名どころ。
まとめサイトで読むのが、便利。
(以下のリンク先、サーバが頼りないようなんで、何度かリロード(更新)してやると、ちゃんと見れると思います。)

死ぬ程洒落にならない話を集めてみない?/洒落にならないくらい恐い話を集めてみない?—過去ログ倉庫 投票所

死ぬ程洒落にならない怖い話集めてみない?/洒落コワ

誰がカキコんでるかわからない、実話か創作かあいまい…というのが、特徴。
ネットの寝癖のついた文体、中途半端に終わる…のもミソ
意図的にその下手くそな文体を操る手練もいます。自分が手練であることに自覚すらない輩も。
破片のような謎がさらに破片化した謎呼ぶ。ネットで読むがゆえの、独特の味わいあり。

「とり憑かれる」とか、信じこんでしまう人には不向き。一人でトイレに逝けなくなるかもww
ディープさ、ハードさは、まちまちで、面白がって読んでると、出会い頭の恐怖がある。

本来、祟りとご利益は、同じもの。
神の世界には、絶対値しかなく、プラスやマイナスは、人が付け足す幻。禍福はあざなえる縄。
…しかし、それは神の立ち位置。

ご利益と祟りの対称性が、なぜ破れるのか?
それは、なぜこの世界が存在するのかという問題。本年度のノーベル物理学賞の主題。
「なぜ無垢な子供にすら、いやおうない不幸が訪れるのか」という、イワン・カラマーゾフの問いとも重なる…はず。
生きたいと思っているから。光、あれ、と。天人五衰。
仏陀が明察したように、ご利益が祟りに見えるのは、「生きたい」という思いのせいだという、矛盾。

突然、スピルバーグ小論

祟り=ご利益。神の絶対値。
最初、このことを思ったのは、じつは宇宙人のことを考えていたとき。
スピルバーグ「未知との遭遇」で、あんなにやさしげに現れた異星人が、なぜX-ファイルのあたりになると、グレイとか、すっかり邪悪になったのか。

「未知との遭遇」の主人公は、UFOを見たために奥さんや子供に捨てられ、社会に居場所がなくなってしまう。
リチャード・ドレイファス演じるこの男は、スピルバーグの無垢の象徴。
ディズニーとスター・トレックを愛する、ピーターパン、おたく。
この世に居場所などもとよりない。さぶらうサムライ、三十郎
疫病が発生して禁じられた場所へと、「逆走して」おもむいていく。トリュフォーがそこにいる。すでに向こうの人だった。
そういう「悟りの境地」にあるものには、天使が(悪魔じゃなく)天使に見えるらしい。。

でも、スピルバーグは、このあと、現世でもっとも成功した映像作家となる…というパラドクス。
「未知との遭遇」「E.T.」に至るまでのスピルバーグが、「激突」「ジョーズ」といった「祟り」を描く映画作家だったこと。
しかし、「到来するもの」は、突然、光となった。
そこに、魔法…と呼ぶしかないものが、ある。ルシファー。

あ。そうそう。
冒頭の写真の犬。
太秦のあたりで、清涼飲料の自販機の横に不法投棄されていたもの。
フレンダーじゃないでしょうか。キャシャーンに捨てられた。
錆びきっていて。それが捨てられた理由。アイボとか買った人々、今、どうしてるのかなあ。
犬はね、白川静も言う通り、伝統的に、道に埋める、祟り神。犬=神。

未知との遭遇(ファイナル・カット版) デラックス・コレクターズ・エディション


監督:スティーブン・スピルバーグ
出演:リチャード・ドレイファス
¥ 1,980 / ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
( 2006-09-27 )

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