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16
Oct
2008

Qnapshots #045 「彼の岸に咲く」

彼岸に咲く花

UFOや幽霊から、メアリー・セレスト、コティングレーの妖精、
スカイフィッシュやチュパカブラに至るまで。
いわゆる、超常現象。
信じるか、信じないか…と問いつめられたりする。

でも、こうしたものに心惹かれる思い。
それが真実か、本当はべつなトリックがあるのか、
というところに、核心があるんだろうか。
謎の解かれる前の、あのあいまいな気分。
むしろ、そこに、心惹かれる「何か」の核心が脈打っているのではないかと。

幽霊の正体見たり、枯れ尾花。
だって、そんなこと、はじめから、わかっているもの。
ロールシャッハ・テストは、紙にできたインクの染み。
占い師の覗き込む水晶は、光の屈折・乱反射が見せる模様。
探偵さんがすばらしい推理で、「謎」を解いてくれても、
「はいはい、よかったね」と、結局、人々は、
またぞろ次の「謎」へと向かっていくばかり。

それが錯覚であるということは、ほんとは初めからわかっている。
問題は、それがそれ自体でなく、べつな「何か」に見える。見えてしまうということ。
それが本当は何であるか…ということは、まあ、どうでもいいこと。
べつなものだと言いきられてしまえば、
「錯覚可能」な他のメディア(霊媒)を見出すだけ。
なぜ、見えないはずのものが、見えているのか。
「べつな何か」それは何か。

この現象は、ニンゲンにだけ起こることではないらしい。
ある種の蛾の羽根の文様は、天敵である小鳥や小動物には、
目玉のように見え、恐れを呼び起こす…と言われる。
たぶん、まず研究者の目に、それは「目玉」に見えているのですが。
擬態…は自然選択による紋章。
いったい、何に見えているのだろう?
何が、怖いの? 懐かしいの?
飛んで火にいる虫。

子供の頃、お化けと思っていたものが、
じつは壁に映る影であったり、窓の隙間から風が吹き込む音だったり。
そんな「発見」をして、恐怖が克服される。
すごく心に焼きつく体験。
ちょっと大人になった瞬間の刻印。いつまでも覚えているもの。

霊とかUFOとかネッシーとか、怪奇現象を扱うサイト。
その半分は、それらが「枯れ尾花」であることを
「科学的に」示そうとするもの。
縷々繰り広げられる実証の言説。
まったく他人事として眺めてみると、
そんなどーでもいいことの否定に躍起になるのは、
なんだかとても不思議な感じがします。
子供の頃、恐怖を克服できた記憶が、体に刻まれていて、
それを再現しようとしているのかしれない。
逆に言えば、それはまだ「恐怖」の感触が残っているということ。

そう。
まだ、「恐怖」の中にあった、子供の心持。
郷愁と恐怖が一体になった、あの気持ち。心細さ。夕暮れ。一人ぼっち。
怪奇現象に「興味」を惹かれるのは、
それを科学的に否定する気持ちと表裏一体で、
子供の頃のある気分を再現しようとしている。

この道は、どこに続いてるんでしょうねえ。
詩人でも絵描きでも音楽家でも。
アートに携わる人は、いつもこの妖しい気分と、
科学的方法論のはざまで、創作をしているはず。
表現。それはどこからやって来るのだろう。
わかった時にはいつでももう、わからなくなっている、
あの場所。かの岸。*1

なお、冒頭の写真には、緑色の妖精が
…って、しまった。この記事はもともと、
「信じる人」に思われたくなくて、書き始めたものだったのに。。


¶ Footnotes:
  1. でも、「向こう」に行ってしまっては意味がなくて、
    どっちつかずの「あいだ」に立つのが、創作のポイント。 []

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