何か調べ物をしようと思って、Google Earthを立ち上げたものの、いつの間にか、何を調てたかも忘れて、あれこれを見て回り、例によって無駄に時間を浪費する。
Google Earthを何に使えばいいのか。わからない。
わからないまま、でも何時間でも、それを眺めていられる。
たぶん、世界は何かに使うためにあるわけではないんだろうな。
「私」はこの世界の主体ではない。
GEは学生が地理を学習するのに役立つだろう。
けれど、見て回るうち、教科書に描かれる世界や各地域についての「概観」を、かんたんに超えてしまう。
試験に出るポイントは、無数の無駄情報の中に埋没。
何かをつかんだり学んだりするというより、むしろ何であるかわからなくなっていく。
秩序をもたらすのではなく、混乱をもたらす情報。
学習とはむしろ反対だ。頭は整理されず、わけがわからなくなっていく。
私はキャラバンの痕跡…アフリカの砂漠に点在する「宿場町」を追っていたのだった。
しかし、キャラバン…それは移動する都市(都=市)であり、未来を投機する形で資本を募るものとして資本主義の起源であり、物語とマネーというふたつの嘘の媒介者である…そのキャラバンはどこへ行ったのか。
そもそもどこから来て、どこへ行くつもりだったのか。
キャラバンは消えてしまった…というより、世界そのものが迷走するキャラバンと化してしまったかのよう。
出口のない迷路からは出る必要がない。たぶん、それが本当の世界のありかた。
丘の上に立って、国を一望に見下ろすと、このうまし国、美しいと思うことができる。
しかし丘から下りて街路をさまよう頃には、ただもう雑多な人の雑多な営みが無限無数にあって、それをひとまとめに理解することなど、とうていできないことに気づく。「私」はそのひとりにすぎない。どの「私」も、私も。
Imagine all the people,
Living for today.
小さな世界の広さと、大きな世界の狭さ。
生きているのは卵だけだ。壁は存在しない。
この文章の作者はいったい何が言いたいのでしょう。わからない。作者は「私」のはずなのに。
私は私がわかっていないことがわかっていない。再帰的に。
瞑想のツールとしてのGE。迷走の?
People say I’m crazy doing what I’m doing.
