お盆は、姫路に帰郷。
新快速で姫路から京都に戻るあいだ、ぼんやりと播磨から京都にやって来るものどものことを思う。
「日本」史に落ちる、巨人の影。
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陰陽師・安倍晴明のライバルは、蘆屋道満。
播磨出身の法師陰陽師。
晴明と道満の呪術対決は、中世説話から歌舞伎を経て、現在の陰陽師ブームまで、賑やかにカタられる。
晴明神社の☆の紋章「五芒星」は、ドーマンセーマンと呼ばれる。「道満=晴明」ということ。
蘆屋道満は、播磨から京都にやって来て、藤原道長に術をかけ、晴明に破られる。ために、播磨に追い払われたとも。
やって来るのか、払われるのか。
しかし、すべての「退治(エクソシスト)」伝承がそうであるように、ここでも「鬼(悪魔)」と「鬼退治(払い)」は同一人物である。
どーまん=せーまん。
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陰陽道は、吉備真備が唐から持ち帰った、星辰と暦の術…とされる。
それらのシンボルを操作すれば、世界は思いのままに牛耳れると。
真備は、播磨の広峯山に神を祭った。
牛頭天王。
なお、広峯のふもとは、「白国(しらくに)」という地域。これは新羅国のこと。祭神は韓神である。
牛頭天王もまた、姫路発・京都行の新快速…いや、乗り換えながら、山陽電車・阪急電車に乗った。
祇園・八坂神社の神は、播磨からやって来たのだ。(途中、神戸で下車している。神戸・祇園社。)
もとより、この神は、旅する神。
みすぼらしいなりで来訪し、一夜の宿をこう。
兄のコタンは長者であったが、この神を拒み、弟の蘇民将来はあたたかく迎え入れた。
この神は竜宮城に赴いたのち(浦島太郎の祖型)、かの地で姫との間に八人の王子をもうける。
八王子を引き連れ、疫神として再来し、コタンの一族は滅ぼされ、ソミンの子孫は繁栄した、と。
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播磨から京へ上ってくるもの。
室町時代。播磨・備前・美作の守護だった赤松満祐は、将軍足利義教を暗殺する。
義教とその一派を、猿楽の宴に招き、その席で殺害に及んだ。
京の町は、一瞬、播磨の勢力によって、占拠された。大名たちは物陰に隠れた。
満祐は、古代の蛮族のごとく、将軍の首を槍先にかかげ、道を幸き、播磨に凱旋。
嘉吉の乱である。
赤松を押し立てて、荒事に従事した連中は、やがて秀吉の勢力のバックボーンとなる。
姫路城は、秀吉の砦である。
本能寺の変に際し、秀吉もまた、備中から京に取って返す。
新快速ではなく、新幹線に乗っていた可能性が指摘される早業。
そして、あらたな京城の王となる荒神は、京の町衆から「太閤さん」と、軽侮と畏敬をこめて呼ばれた。
そういえば、牛頭天王は「祇園さん」と呼ばれる。*1
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吉備と播磨の中間に西に、赤穂がある。
時代は下って江戸中期。義士の討ち入り。
牛頭天王と八王子、道満晴明、嘉吉の乱、太閤秀吉。
播磨から京に来訪する荒神の再臨として、討ち入りを思ってみる。
そもそも、赤穂の東は、秦河勝のウツホ舟が流れ着いた場所。
河勝の最期は、流され、荒神として再生する。
「坂越」と書いて、サコシと読む地域。
荒神となった河勝は、この地の大避神社にまつられた。
申楽能楽の始祖として、今もあがめられている。
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河勝は、渡来系の大グループ「秦」の大立者。
桂川に堰を築いて、流域を大いに開拓した。河勝とは、文字通り、「川に勝つこと」だろう。
平安京以前、京都つまり山城国の支配民であり、聖徳太子の勢力の屋台骨。
河勝の屋敷は、のちの平安京の内裏のあたりにあったという。
堀川と、その流れ込む貯水池「神泉苑」は、もとは秦の一派が灌漑用に整備したもの。
河勝邸には、韓神・園神という二柱の神がまつられていた。
蘇民将来伝説の神と同じ神話バリエーションであったかと想像する。
園神はたぶん女性で、本来は神泉苑の池の神だろう。八人の王子をはらむのだ、八犬伝の伏姫のように。
平安京が衰え始めたころ、この場所には「鵺」という怪物が出没した。
鬼退治の名手によって矢で射られ、ウツホ舟で流される…というのは、河勝の伝承と同じ。
鵺と河勝は暗い等号で結ばれる。
鵺神社のある二条城の西北は、もと内裏であり、その前に韓園の二社があったとされる場所。
たぶん「祇園さん」と秦の古い神も、いまは失われた変換方程式を経たのち、やはり等号で結ばれるのだ。
流されては、帰ってくる、荒神。
播磨から京へ、のぼり来るもの。
日本の歴史の影の巨人。もうひとつの「天王」。
そして、ひそかに目に浮かぶ、アキラのラストシーン。
¶ Footnotes:
- 八坂神社とは、「天王=天皇」の名をもつ祇園社を蛮社とした明治以降の呼び名。 [ ↵ ]




