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19
Aug
2008

旅する神さま

「あの人に会いたい」という番組。
NHKの膨大な映像資料から、今は亡き著名人のインタビューを選り抜いたもの。
NHKアーカイブス NHK映像ファイル あの人に会いたい

晩年の柳田国男の映像もあり、その中で柳田翁は、自分の「最初の手柄」について、うれしそうにかたります。

農務省の官吏だった頃(と思う)、柳田は九州の山村を訪れ、ひとつ民話を聞いた。
猟師が山の中で、お産に苦しむ神さまに出会う、という話。
ひとりの猟師は、山中でお産の穢れに手を染めることは禁じられている、と断る。
もうひとりは、それはたいへんでしょうと、神さまのお産を助けた。
拒んだ猟師は呪われ、助けた猟師はその後、大いに繁栄したと。

柳田はすぐあとに、東北(だったかしら)でこれと同じ話を見つける。
思わぬ遠方に、似た話の朋輩が分布する不思議。
その発見が自分の民俗学の「最初の手柄」だと。

  +

この話は、蘇民将来の伝説と同じタイプ。
蘇民将来は、祇園祭の伝承。
また少し前、「セクハラポスター」で話題になった岩手の蘇民祭もそうだし、初夏や小正月に全国で見られる「茅の輪」をくぐる風習、ちまきを食べる習慣も、この伝説に基づく。

祇園祭・黒主山のちまき

みすぼらしい乞食の姿で訪れ、一夜の宿をこう神(武塔神)。
長者の兄・巨旦(コタン)は拒み、貧しい弟の蘇民(ソミン)はもてなす。
やがて、八人の王子を引き連れ、荒ぶる神として再来した神は、巨旦の家を滅ぼし、蘇民の子孫を繁栄させた。

蘇民将来の話は、備前風土記(逸文…釈日本紀・巻7)に、疫隅神社の起源として出て来るもの(現在の広島県福山市の素盞嗚神社)。

風土記にはじつはもうひとつ、この類話があります。
常陸国風土記の冒頭で、やはり神さま(御祖神)がやって来て、一夜の宿をこう。
はじめは、富士山に宿をこうが、富士山は、新嘗の儀式の夜なので、物忌みをしなければならないから、と断る。
つぎに、筑波山にやって来て、宿をこうと、筑波山は大いにもてなした。
こうして、富士山は、夏でも雪が降り積んで、人のいかない寂れた山となり、筑波山は歌垣の宴がさかんに催される賑やかな山となった…というもの。

みすぼらしいなりで、訪れた神をもてなす。
約束事を破ってでも、目前で困っている神に手を差し伸べる。
その結果、助けたものは、のちに神に祝福され、長者となる。

翁となった柳田が「手柄」と呼ぶのは、民話民俗という、日本の端々に打ち捨てられていた「みすぼらしい神さま」を、彼がその手で助けた、という思いがあるから。
それは、たぶん、生きている神話の一部。

茅の輪をくぐる

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ハロウィンで、子供たちは神さまのコスプレをして、家々をおそう。
来訪した小さな神々に、お菓子を与えないと、ひどいいたずらをしちゃうぞ、という牛頭天王。
(本物の牛頭天王の「いたずら」は、京に疫病を蔓延させること。)

東北や北海道にいくと、1月15日のトンドのサイの神や、7月7日の七夕に、同じようにいたずらっ子の神さまが、お菓子を強奪に現れる。
柳田が子供の頃、
「亥の子餅くれんこ、くれん家の嬶は、鬼産め、蛇産め、角はえた子産め」
と餅を強要してまわる習慣があったと言います。
チマキでウツホを作り、その中に戦利品の餅を納めた。
柳田の神話元型で、「餅」は心臓を表す。新生する王子を。
そういえば、岩手の蘇民祭は、ボロボロな「袋」を、裸の男たちが取り合う。
ここに「セクハラ」を見出すのは、じつは神話的思考としては正しい方向だったかもしれません。
ただ、神話の中では、それは肯定されるべきものではあるのですが。

また、神社の祭りで、役に選ばれた子供は、お勤めにあがってる期間中は、少々いたずらをしても、親から怒られなかったらしい。
他にも、祭りの稚児さんになると、頭を触ったらダメだとか、地面に足をつけたらダメだから肩車して歩けとか、いろいろ不思議なタブーがある。神の子たち。

お蔭参りといって、奉公にあがった少年少女が、店を抜けだし、伊勢に詣でる。無断の逃亡にもかかわらず、無事に戻れば、お咎めなし。
道々ものを乞いながらお参りしたとも言われ、それはなかば強要であり、なかば御師と呼ばれる布教の輩が流したパラダイス伝説であり、踊りながら巡礼するものは、念仏踊りからええじゃないかまで続く、「旅する神」の伝統的歌舞音曲。
巡礼に喜捨するならわしは、チベットにも、スペインにも、ロシアにもあるだろう。

物乞いをする神さま。
旅をするものはもう、それだけで神であった。

神さまの食べもの

旅とは、「たうべ」であり、これは「食べる」「たまう」「とうとぶ」と縁語。
つまり、食べ物を乞うことであり、神に食事をささげること。

これが「価値」と呼ばれる、ヒトという種にだけ見える幻想の起源。
株式会社の起源は、出資を募ってアジアへ航海した東インド会社。
しかし、「カンパニー(ともにパンを食べる)」はそもそも、エジプトからインドを経て、中国に至る古代のルートで、キャラバンという移動する都市が大元にあることも、ここで思い合わせるべきか知らん。
さらには最後の晩餐で、神の子は弟子たちと食をともにすること。

参勤交代の大名行列が、祭りの行列や百鬼夜行、あるいは嫁入りの列と似ているのも、きっと神の旅の名残り。
仮面をつけて舞い、神の曲を奏でるものらが、日銭を乞うこと。
それはオリンピックにいたるまで、同じ。旅する神の子の物乞い。

  +

旅する神さま、物乞いする神さま。
世界中にこの例を見つけるのは、難しいことではない。

伝播…したようにも見えるけれど、民話や伝説の伝播過程がきれいに実証できることは稀。
たいていの「神さまのこと」がそうであるように、似ているように見える例を列挙することはできても、その間に理由や原因、まして意味をしかと見出そうとすると、途端に胡散臭くなる。さまざまな反論が沸いて出る。

日本霊異記の、聖徳太子が道で行き倒れた乞食に施しをするエピソードや、二十三夜といって、お大師さん(弘法大師や元三大師)が乞食の姿で現れ、老婆が施しをする伝承も、ここに列記できるもの。

さらに、こんな思いがけないのも、「列挙」しておこう。
黒澤明「椿三十郎」。

三船敏郎の演じる、「三十郎」と名乗る浪人。
「用心棒」では、「ススキ三十郎」で、今度は「椿」。
めっぽう腕の立つこの流れ者は、結局、名前すらよくわかならない。
牛頭天王がそうであるように、たぶん彼奴も千の名を持つ。

三十郎の戦術は、「用心棒」でも「椿」でも同じだ。
ふたつの勢力が対立している状況に、彼はふらっと現れる。
自分の味方する方では飯を喰らい、寝返ったふりで敵方に寄宿するが、その飯は「たうべ」ない。
三十郎には、自身の影のようなライバル(仲代達矢)がいて、それを殺すことで物語は終熄する。巨と小の、もどき。剣。

峠の向こうの世界で食事を「たうべ」てしまうと、もうこちらには戻れない…というのは、黄泉に逝ったイザナミの談。
たったひとつの物語が、あくことなく、かたられている。

用心棒<普及版>用心棒<普及版>
監督:黒澤明
出演:三船敏郎;東野英治郎;山田五十鈴;加東大介;仲代達矢
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椿三十郎<普及版>椿三十郎<普及版>
監督:黒澤明
出演:三船敏郎;仲代達矢;加山雄三;団令子;志村喬;田中邦衛
¥ 3,990 / 東宝
( 2007-11-09 )
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柳田が生まれたのは、播磨の北、辻川。「日本でいちばん小さな家」と彼は生家を呼んだ。
「辻川」という名のとおり、東西に播磨を貫く街道と、南北に瀬戸内海から生野へ伸びる街道の十字路。
AZ::Blog はんなりと、あずき色☆: 柳田国男の小さな家

十字路には、神さまが棲んでいる。

それは世界普遍の神話。
ブルースギタリストのロバート・ジョンソンは、ハイウェイ61の十字路で悪魔に魂を売って、ギターの腕を手に入れたと言う。

十字路の悪魔は、ブードゥーで「ロア」と呼ばれる神であり、儀式の最初に呼び出されるバックドア(うしろ戸)の神。千の名を持つ神。
交通と歌舞音曲の神で、みすぼらしい乞食のなりをした、白髭の老人。
ジプシーは同じ神を別な名前で呼んでいるだろう。
古代ギリシャではヘルメスと呼んだ。冥界とのサカイに立つもの。
デヴィッド・リンチ作品では、フリーメーソンにならって、その境界をロッヂと呼んでいる。

インランド・エンパイア 通常版インランド・エンパイア 通常版
監督:デイヴィッド・リンチ
出演:ローラ・ダーン
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コンプリート・レコーディングス

ロバート・ジョンソン
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柳田国男の父は、維新の混乱のあと、いっとき心を病んだ時期がある。井上の邸の座敷牢に幽閉されていた。
蒸し暑いある夏の夜、蚊帳に入れるため、牢を出され、涼んでいるうち、ふいに家からいなくなった。
皆で大騒ぎして探していると、朝になってから、枯れ井戸の中にうずくまっているのを、見つけられる。

その井戸
室町時代の書物にも記された古い古い井戸で、辻川の十字路のヘソのような存在。
柳田が子供の頃、ある季節だけ現れる、風の又三郎のような同級生がいて、それは旅芸人の子供だった。歌舞音曲をなりわいとする旅人たちがテントを張ったのも、辻川の井戸のとなりだった。

柳田の少年時代には、すでに枯れて埋もれていた、十字路の井戸。
父はそこにうずくまって一夜をあかし、巨人と小人の組からなるという、十字路の神の声を聞いただろうか。井戸から水がふたたび湧き出す幻を見ただろうか。
この父の子らは、半分は夭逝し、半分はことごとく出世した。
村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」のいちばん重要なイメージは、なぜか柳田の父が見ていたものと同じだ。

十字路の神の異常な普遍性。
そして、この文章を読んでしまったあなたの家の前に、今宵、旅の神が立ち、ドアをノックする。

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)


村上 春樹
¥ 540 / 新潮社
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