久しぶりに京都ネタ。
最近の新書によくある「なぜ○○は××か」みたいな題名になりましたが(^_^;)
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ともあれ。
少し前、「袖もぎ地蔵」というお地蔵さんのことを書きました。
姫路をはじめ、全国各地にまつられるお地蔵さん。
坂の途中などにあって、その前で転ぶと死ぬ…という謂れをもつ。
袖をもいでお供えしておけば、災厄をまぬかれる、と。
もともとは、行き倒れの旅人を神とみなし、その骸には衣を掛けて葬る風習があった。
やがて行路死人が神であることが忘れられて、いろいろ断片化して、その前で転ぶと死ぬ→袖をもぐ、というふうに変化していったものらしい。(折口信夫「餓鬼阿弥蘇生譚」)
京都の清水・三年坂でも、「転ぶと三年のうちに死ぬ」というような迷信があって、
もしかするとこれも袖もぎ地蔵のバリエーションかもしれない。
そう推測していたのですが、どうやら当たりの感触…という話。
より大きな地図で 三年坂の秘密 を表示
三年坂を登った北東角、経書堂(「きょうかくどう」と読む。来迎院)。
謡曲「熊野」(ゆや)にもうたわれた古いお堂。
◇熊野 (能) – Wikipedia
御法の花も開くなる、
経書堂とはこれかとよ。
その垂乳根を尋ぬなる子安の塔を過ぎ行けば、
春の暇行く駒の道、「熊野」
経書…死者に手向ける経木に経文を書いたといいます。
小石に法華経の一字ずつを書いて、積み上げたとも。
これは、峠で旅人が、たむけの石積みをするのと、同じ風習…いわゆる「賽の河原」。
そもそも「峠、旅、たむけ」…は同語源。おそらく「食べる」もそうらしいです。
経書堂のある、三年坂を登ったこの場所は、道の辻。
松原通りと五条坂が交わって、清水寺へ登る口。
旅路の無事を祈る、辻神を祀るべき、どんぴしゃりのロケーション。
かなり古い時代から「たむけ」の石積みが行われていたものと思えます。
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さらに、経書堂の向かいには、姥堂というものがあったそうです(福田晃・真下美弥子「京都の伝説 洛中・洛外を歩く」)。
三途の川の奪衣婆像を祀った愛染堂。
奪衣婆と袖もぎ地蔵も関係がありそう…と想像していたのですが、これがどうやら正解のよう。
奪衣婆は三途の河原で、渡し賃である六文銭を持たずにやってきた亡者の衣服を剥ぎ取る老婆。
三途の川の「賽の河原」。
冥府への道の途上にある辻。
そこでは、子供の霊が石積みすると言われ、その祭文は地蔵菩薩の由来。
◇奪衣婆 – Wikipedia
冥府への道の途上で、衣を奪う奪衣婆。
本来は、旅人(行路死者)に、たむけの衣をかけてやるべきなのですが、
六文銭を持たずに来た者からは、これを奪って、地獄へ落とす。
きっと実際、堂には語りをする姥がいて、三年坂を登る善男善女に、
ありがたくもおどろおどろしい仏教説話を説いていたはず。
「人倫訓蒙図彙」という元禄期に出版された職業図鑑の中に、「御優婆勧進(おうばかんじん)」というものが出てきます。

右の男がそれで、天秤にかついでいるのは、奪衣婆と地蔵尊。
このように物語を街道沿いに歩き広める人々がいた。
男が姥の人形を運んでいるように見えますが、じつは姥が生きていて、男が人形なのかもしれません :-O
ちなみに、左は、「粟島様」。「はり才天女の宮」と称して、陽物をかたどったものを運び、詞書には「わろうべし」と書かれています。
「はり才天女」は、牛頭天王と対になる女神・婆梨才女で、祇園祭では少将井とも呼ばれる。
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「姥堂」で検索してみると、ちょっと面白いのが見つかりました。
山形の立石寺という山寺の、上り坂の途上にも姥堂があり、
やっぱり奪衣婆像が祀られています。
(見よ、google検索民俗学のパウワァを (H) )
◇山形市観光協会
◇尾張名所図会を巡る : 姥堂(うばどう)…尾張にもあるらしいです。
同じようなのが、清水の三年坂にもあったんでしょうね。
参道が冥府への道すがら(三途)ともみなされている。
ここで姥の関門をうまくパスできれば、浄土に行き着くことも可能だと。
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参道は産道でもあって、行路死人に衣を懸けたり、たむけの石を捧げたりするのは、
葬るとともに、再生の意味あいもそもそもはあったはず。*1
三年坂は「産寧坂」とも書いて、妊婦の子安を祈る参道でした。
清水寺の仁王門のあたりに、泰産寺という寺が江戸時代まであったそうです。
(今は、奥の方に引越しされています。明治の廃仏毀釈のせいらしい。)
この寺は、その名のとおり、お産の安泰を祈る寺。
子安の参りをする民間信仰が強くあって、それが人々に産寧坂を登らせたものらしい。
孝謙女帝の母、光明皇后が子安観音を祀ったのが始まりとも、
坂上田村麻呂が子の出産を記念して経てたとも縁起が説かれます。
清水寺より古い由緒があるらしくて、
そもそもこの山に何かの信仰があって、
子安を祈るのはその名残りであったか。
江戸時代初期に立てられた子安の三重塔は、重要文化財。
(現在、修復中で拝観できないみたい。
これも、明治に移したのかなあ…こんなすごい建物を移せるのか…)
清水寺や平安京より古い
…というと、八坂の塔・法観寺も、聖徳太子の謂れをもち、たぶん何か関係がありそうですが、
これはまたの機会に。
なお、三年坂で転んでしまった際には、袖もぎや石積でなく、坂の登り口にあるひょうたん屋さん(大井人形店)の瓢箪が厄除の御守になるそうですよ。
◇芭蕉の小径 三年坂・二年坂 コラム
(今回の話は、写真がちょっと足りませぬネ。
京都に住んでた頃なら、「経書堂」「泰産寺」「子安の塔」それに「ひょうたん屋さん」の写真も、
ちょちょいと撮ってきたものを… (P) )
¶ Footnotes:
- これも「反対の一致」があって、葬るのは、再生させないためであり、同時に再生させるため。
疫病神を祀ると、疫病が止むのが、神を封じ込めたためなのか、神の恩恵によるものなのか、どちらつかずのように。
神様にはどうやら「絶対値」しかない禍福あざないの縄で、プラスマイナスの効用は人が勝手に見出すようです。 [ ↵ ]


