I read the news today oh, boy
Four thousand holes in Blackburn, LancashireThe Beatles “A Day In The Life”
サイトクサン
神さまに穴があいている。
この現象を最初に発見したのは、山陽道でした。
姫路の城下町に入る手前の、「御着」という場所に祀られるもの。
これまでも何度か取り上げましたが、この石は、サイトクさんと呼ばれています。
穴のあいた神さま。
「歳徳さん」はこの近辺で他に二箇所に祀られ、それぞれ全然ちがう姿をしている。
この「サイトクさん」は、穴があいている、ということが、神であるしるしであるらしい。
毛野の荒神さん
播磨のもっと別な場所でも、また異なる姿の「穴のあいた神さま」を見出せます。
姫路の玄武にあたる書写山。
その西南にある毛野という村に、三宝荒神が祀られる。
この荒神宮には、小さな穴のあいた石がコレクションされていて、触るとイボが治ると言われています。*1
イボ地蔵など、イボを治す民間信仰の一種ですが、穴のあいた石なのが面白いところ。
神爪の由来と辻川の駒ヶ岩
サイトクさんのある御着からもう少し東へと山陽道を進んで。
石の宝殿(生石神社)の近くの神爪。「かづめ」と読む。
この不思議な地名の由来はいくつか説があるのだけれど、播磨鑑という古書には、
「往昔、日向大明神の神馬の爪残りし所」
とあって、つまりは神の爪跡らしい。
神さまの乗った馬が、ひづめの跡をつけた石。
じつはこのパターンはいくつかあって、柳田国男が子供のころ、カッパと一緒に川遊びをしたという(若干、誤読ぎみ)、夢前川の河原にも、同様の伝説があります。
市川の川ぶちに駒が岩というのがある。
今は小さくなって頭だけしか見えていないが昔はずいぶん大きかった。高さ一丈もあったであろう。それから石の根方が水面から下へまた一丈ぐらいあって、蒼々した淵になっていた。柳田国男「故郷七十年」
駒が岩にも穴があって、辻川の産土神「鈴の森明神」が古宮に出かける際、その神馬がつけたひづめの跡だと。
まったく同じような伝説が伝わります。
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聖徳太子の愛馬のひづめ
この神馬伝説のもとをたどっていくと、聖徳太子の愛馬「黒駒」号にたどりつく。
◇甲斐の黒駒 – Wikipedia
黒駒はラオウの黒王に勝るとも劣らない名馬であり、それをイメージしてしまうと、聖徳太子が何となくラオウっぽい姿で脳裏に浮かぶようになります。
しかし、黒駒号は、空が飛べたらしい。
太子を乗せて着地したとおぼしき場所が、姫路の西にある壇特山。
◇お手軽里山遊び 壇特山
ここは奈良でもないのに、鵤(いかるが)と呼ばれる地で、法隆寺の荘園が長く営まれた場所。
聖徳太子がお経を説いた褒美に、推古天皇から賜ったとされる地所です。
太子は壇特山にのぼりたち、ここから巨石を投げて、荘園の大きさを画定した。
この山頂に、ぼこぼこに穴のあいた岩があって、傍には黒駒をつないだ松がある(今はもう枯れて、ないけど)。
岩の穴は、黒駒号のひづめの跡と言われ、岩も馬蹄石と呼ばれます。
岩には無数に穴があいており、おそらく「あたたたたたたた」とものすごい勢いで地団太踏んだものと思われます。
別な説では、応神天皇が国見の際についた杖の跡とも言われ、聖徳太子の沓跡という伝承もある。
太子が必死で沓跡をおつけなさる姿を想像するのは楽しいです(冒涜ともいう)。
とにかく、山の頂に「穴のあいた石」があることが、この岩を神格化させるポイントとなっているらしい。
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四軒屋地蔵の道標
穴のあいた石に神性を見出す。
下の写真は因幡街道にある、四軒屋地蔵という小さなお地蔵さんの祠の道標。
元禄三年の銘があって、姫路市内で二番目に古いみちしるべらしいのですが、穴ぼこがあって、ゆえに標の石とされたのではないでしょうか。
鹿ヶ壷
もっと大規模な穴のあいた神もあります。
播磨の北の山奥、安富の「千年家」からさらに北上してダムを越えたあたりに、鹿ヶ壷と呼ばれる名勝があります。
今は道がついて簡単に行けますが、かつてはたいへん山深く、秘所とされていたらしい。
大昔の播磨には、伊佐々王と呼ばれる巨大な鹿がいた。
体長が六メートル、角は七つに枝分かれし、苔むした背中には笹が生え、足には水かき。
齢数百年、播磨の獣をしたがえ、山野をわがものとして、人里を荒らしていた。
天皇の命により、ついに退治されるのですが、大鹿イササ王が死に絶えた場所が、鹿ヶ壷。
伊佐々王が身を横たえた窪みが、残っていて、「鹿の寝床」と呼ばれています。
◇鹿が壺 伊佐々王と不思議な穴の物語 <ひょうご伝説紀行 - 語り継がれる村・人・習俗 ‐>
鹿ヶ壷は、小さな滝が連続し、川床にいろんな形の穴があいて、不思議な景観を形成。
いわゆるポットホールです。
いちばん深い穴は「底無」。
一説では、はるか南の瀬戸内海につながっているんだとか。
また、深さを測ろうとして、竿などを突っ込むと、天気が大荒れになるとも。
伊佐々王は、明石の伝説だとイノシシだったりもするのですが、なんか「もののけ姫」のダイダラボッチみたいな、不可思議な存在。
神鹿のあけた神秘の穴が、鹿ヶ壷というわけです。
鹿ヶ壷のある場所は、安富の安志。
安志(あんじ)は、もとは「あなし」で、穴師というような字を宛てることができるようです。
鉱物を採掘する民と関係のある地名らしく、独特の伝承が背景にある。
「穴」は、その内部に金を貯え、生み出す、神聖な扉。
シシ神・伊佐々王
さて、伊佐々王は、加古川の日岡神社に祀られています。
◇日岡神社 – Wikipedia
式内社日岡神社はとても大きな神社ですが、祭神「天伊佐々彦命」は他には見当たらない神さま。*2
これがどうやら、伊佐々王のことであるらしい。
とすれば、初めのほうに書いた「神爪」の由来、
「往昔、日向大明神の神馬の爪残りし所」
の真意がつかめる。
日向大明神は、日岡の明神のこと。
神の爪とは、大鹿・伊佐々王のひづめ跡のことであり、「かづめ」に神爪という字を宛てるのは、その意味なのだろう、と。
日岡神社の天伊佐々彦命は、安産のご利益で知られます。
播磨稲日大郎姫がヤマトタケルご出産の時、天伊佐々彦命に祈って、安産だった由縁。
日岡神社のそばの日岡御陵が、稲日大郎媛の墓とされています。
「穴」のあいた神さま。
そのご利益が安産であるのは、まあ初めからわかりきったことであったかもしれません。
小さいほうは多くは中が窪み、もしくは真中に穴があって、たしかに似ているので臼石ともいっております。
自分たちの郷里に近い播州姫路城の姥石は、絵葉書もできていて人がよく知っています。加藤清正がこの城の石垣を築いたとき、いくら積んでもすぐに崩れるので困っていると、夜分名も知らぬ老女が臼のごとき小石を携えてきて、石垣の上においた。それから崩れぬようになったといっております。
石に霊魂が宿るという考え方は、まだ人間の信仰が系統だった宗教にならぬ前から、多くの民族に共通して行われておりました。数かぎりもないそこいらの石塊の中から、そうした、霊石を見いだして崇敬するには、色か形状かの特徴によるの他はなかったのであります。柳田国男「女性と民間伝承」
¶ Footnotes:
- イボは疱瘡、天然痘のことであったか知れない。天然痘を生き延びた人は「穴のあいた」ような跡が残るが、それは生存のあかしであって、そのご利益が誤伝され、あばたのある石がイボを治すことになった、という憶測。 [ ↵ ]
- 氣比神宮の祭神「伊奢沙別(いささわけ)命」。神功皇后の三韓征伐の際、角鹿から穴門に向かう航海の無事を祈った神。「角鹿」から「穴門」。古事記では、武内宿禰が皇太子(誉田別命)のために角鹿に仮宮をきずいたところ、夢に現れ、名前を交換する現地の神(書紀ではこの件について困惑)。伊奢沙別命は、天日槍命とする説が神祗志料にあって、日本書紀で天日槍命の八種の神宝のひとつは「膽狭浅(いささ)の太刀」。 [ ↵ ]

山陽道のさいとくさん2







