イワンのばか、三人の兄弟
「イワンのばか」というロシア民話。
トルストイが晩年、思いをこめて寓話化したものが、有名です。
先日、四季さんが記事にしておられました。
□青空文庫 / 菊池寛訳 トルストイ「イワンの馬鹿」 SKAZKA O IVANE-DURAKE
岩波文庫版の解説だと、取材した民話があまりなくて、
トルストイの創作性が強いように書いてあるけど、
そうでもないかもしれません。
愚かにみえる若者が、じつは神の意にかなう子である
…というのは、以前記事にしたペンタメロンの話や
炭焼き小五郎と同じ(グリムだと「ハンスのばか」)。
三年寝太郎とか洟垂れ小僧とか、
じつは民話・神話では根源的なパターン。
聖書の中にも見つかるし、
そもそもイエスがそのような神の子。
また、三人兄弟で相続するのもよくある話の型で、
毛利元就の三本矢とか(イソップにも類話)、
シェイクスピアのリア王なんかでも用いられるもの。
トルストイのがあまりに有名になりすぎて、
結果としてそのまばゆさの影になってしまったけれど、
ロシアのよく知られた(バリアントも多い)民話「イワンのばか」。
でも、この三兄弟話としての「イワンのばか」、
特に重要なのは「カラマーゾフの兄弟」とのつながり。
イワン・カラマーゾフのばか
「カラマーゾフの兄弟」は、トルストイの寓話と同様、
ロシア民話「イワンのばか」が大元にある。
…と、ずっとそう思ってきたんですが。
じつのところ他の人もそう思って読んでるものとばかり。
そうでもないんですかね。よくそういうこと、私はあるんですが。
ドリフのコントで、志村けん独りが幽霊を見るような(;・∀・)
ともあれ、そう妄想して思って読むと、
面白い読み方ができる、カラマーゾフ。
ドミトリー・イワン・アリョーシャの三兄弟で、
何といっても、興味深いのは、イワン。
イワンがいちおうは、いちばん賢い。
民話では「ばか」であるはずのイワンなのに。
でも、その賢さは、
「神の不在の証明」というところに行き着いてしまうもの。
無垢な子供たちが悲惨な目に遭うようなこの世界、
神など存在するはずがないと。
そして、隠れた四人目の兄弟、
イワンの影といっていいスメルジャコフによって、
愚行が演じられる。*1
つまり、いちばん賢いものが、いちばん愚かでもある。イワン。
民話を元に、じつに巧妙にひねってある設定です。
末弟のアリョーシャは、この物語の主人公で、
「白痴」の主人公ムイシュキンの流れをくむ点で「ばか」。
彼は人が生きていく上で、
神の存在がむしろ積極的に要請される
…つまり「証明」されるべきようなものではなくて、
生きていくことで体得され見出されるもの(=信仰)だと、
はじめから(アプリオリに)わかっている。
愚かであると同時に、神に愛されている子である、アリョーシャ。
ドストエフスキーは、この考え方を、
(人生と神様をのぞけば)たぶんカントから学んでるはず。*2
民話を下敷きにした、カラマーゾフ。
…これってそんなにヘンな読み方じゃないですよね(すがるような目で)。
研究者にもきっと指摘してる人がいるはず…と思うんだが。どうなんだろ。
まあ、いいんですけどね(石でも蹴りながら呟く)。
ともあれ、私は十代の頃からそう読んでたです。
特に難しく考えてではなくて、自然にそう。
「民話が下敷きにある物語」
…この話題、次回も続けてみます。
次回はたぶん世界で私しか読まないような、
ヘンな読み方が登場(^_^;)
炭焼き長者譚
…神に愛される無垢の愚か者と、
兄弟姉妹の遺産相続、
あるいは美と醜の結婚の主題について。
閑話休題・スルメジャコフ
スメルジャコフのことを、
「スルメ」ジャコフだと思ってる人は、
実在する。
ちらほら、実在する。スルメのスメル。
いいなあ、人生。Ура Карамазову!
島崎藤村を、ふじむら藤村だと思っている人より、検索しやすいです☆彡
¶ Footnotes:
- 父殺しであり、
神の悪の側面(父=神=フョードル)を抹殺する試み。
そして、それ自体が悪の源泉。
抹殺しようとすれば逆にはびこり、
共存しようとすれば消えていくのが、悪。 [ ↵ ] - 「実践理性批判」
…しかし、じつは「列子」の岩波文庫版の解説で、
カントのこの考えを私は知ったという事実。。 [ ↵ ]
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- 秋の夜長の洒落コワ | AZ::Blog - 2008/10/09 Thursday 20:48:03


July 13th, 2008 at 11:02 AM
私は「イワン」と聞くと反射的に「ばか」と思ってしまうんですが
ロシア人にとってはどうなんでしょう。
一般的な名前みたいだし、大帝だの雷帝だのがいるぐらいだから
あまりそういうことは反射的に思ったりしないのでしょうか。
もしかして、日本の民話をちょっとかじってる程度の外人さんが
「太郎」と聞くと「桃」とか思うような感じなんですかね?
本当は「浦島」もいれば「三年寝」もいるし、「岡本」だっているのに。(笑)
で、反射的に「ばか」が出てくるような状態なので
ロシア文学に「イワン」が出てくると
どうしても色眼鏡で見てしまいがちです、私。(笑)
以前水村美苗さんと辻邦生さんの「手紙、栞を添えて」を読んだ時に
「イワンの国の価値は文学を通してしか解せないのに、その国には文学を解する人は入れないのです」
と水村さんが書かれていたのを思い出しました。
これは全くその通りですよね。
神の意にかなうイワンの国だけど、そこの人間は聖書も読まないはず。
それでもやっぱりイワンの国は神の意にかなう国。
ユートピアなんですよね。
July 13th, 2008 at 4:25 PM
昨日今日と激しく暑いですね。
スーパーで買ったアイスクリームが、持って帰る間に溶けて、それだけで、ちょっと人生を投げ出したい気持ちになりました( ;∀;)
ロシアだとイワンとばかは縁語になってるんでしょうね。ドイツでハンスがうすのろであうように。
「イワンのばか」はたぶん、語呂のいい連語にもなってるにちがいないです。
トルストイはイワン・イリッチもあるし、いちばんありふれた名前なんでしょう。
トルストイ晩年の思想はウルトラ理想主義。
小説の持っている「全体性」
…善も悪も、わけわからないものもどうでもいいようなものも、
何でもかんでも詰め込んでしまう性質と大いに矛盾するので、
よく問題になります。
晩年のトルストイと、アンナ・カレーニナのトルストイはどちらが偉いのかとか、
ドストエフスキーかトルストイかとか。
トルストイの最期は、奥さんがガミガミ言うのが怖くて、家を飛び出して、野垂れ死ぬんです。
小説のような逆説的な最後です。あの理想主義は何だったんだと、人を悩ませる。
でも、ガンジーもトルストイの晩年に出現するし、現実というのは生きてみないとやっぱり分からない。
トルストイの晩年を、肯定するにせよ否定するにせよ、一口で言いきるのは、ほとんど無意味な気がします。
人間というのは、じつに厄介な代物だなとでも、お茶を濁すばかり。。