瓜生石、キュウリ、牛頭天王
瓜生石(うりゅういし)。
知恩院前の道路のど真ん中に、ご鎮座まします神の石。
知恩院より古い由来を持つ。
貞観2年(860年)6月14日の深夜のこと。
この石に一夜にして瓜(キュウリ)が生り、
牛頭天王が宿った、というもの。
その後、牛頭天王の新霊は今の粟田神社に移られた。
「牛頭天王」の文字が表面に浮かんだとか、異説もあるけれど、
これは桃太郎やかぐや姫・瓜子姫と同様、
「うつほ」に神が宿りつくことなので、
実のうちに宿ったとみるのが正統。*1
素盞嗚尊こと牛頭天王を祀る八坂神社の紋は、
輪切りにしたキュウリの断面をかたどったもの。
粟田神社では、神輿を瓜生石の上に置いて、神を宿らせる行事が、
明治まではおこなわれていたそうです。
ちょうど、少将井の井桁の上に神輿を置いて、
神を宿らせるのと、ペアになってる感じです。
神戸・祇園社のキュウリ
牛頭天王は、播磨の広峯神社から、京都にやってきた神さま。
途中で、神戸でお宿をとりました。
平野の祇園神社です。
川村湊「牛頭天王と蘇民将来伝説」によると、
神戸・平野あたりには、キュウリを半紙に包んで
お供えする風習があるそうです。
キュウリのうろに、邪気を封じ込め、最後は川に流すらしい。
また、キュウリを食べることがタブーであったりもするそうです。
むかしのキュウリは、もっとスが入っていて、
中が空洞だった。
キュウリが神のよりつく「うつほ」となる。*2
神戸には西区に蘇民神社があり、
王子動物園はもとは王子神社があった場所。
王子は、牛頭天王の子供の八王子。
もうひとつ重要なのは、春日神社で、
かつては「宇留神社」と呼ばれていたそうです。
ここを神戸の祇園社の本源とする説があって(本間雅彦「牛のきた道」)、
川村さんは「推論の域を出ていない」と一蹴するのだけれど、
「宇留=瓜生」はやっぱり捨てがたい方向。*3
「うる、うり、うりゅ」という音は、
「たまふり」のフリだとか、占いのウラだとか、
あるいは、「うろ=空ろ=うつほ」であり、
神が降り(オリ)る、よりつく、という意味なのかもしれません。
あるいは、この神の古い名前のひとつなのかも。*4
宇留神社の伝承では、神武天皇一行が、
平野の地に水田を開いたあと、
王子をひとり残して、東へ旅立った。
それを、向宇留(むかうる)という
…と、地名説明の神話になっています。
東へ旅する神の巡行。
天王は忘れられた天皇の御影ではないか。
巡行していく行幸の呪術性が消えたとき、
影は別なものとして、一人歩きし始めた、と。
北白川の瓜生山
さて、京都には、瓜生石のほかに、もう一ヶ所、
「瓜生」の名を持つ場所がある。
瓜生山。
京都造形芸術大学の裏手の山です。
播磨の広峯社からやって来た牛頭天王は、
文献(「二十二社註式」)によれば、
北白川の東光寺というところに置かれた。
京都で牛頭天王は、
北白川の東光寺、壬生の祇園梛神社、
岡崎神社、粟田神社、八坂の祇園感神院と
あっちこっちしてて、取り合いの気配もあるのですが。
この神の信仰が広域に分散し、
それぞれ関係していた(友好的とは限らない)ようです。
東光寺は今はなくて、岡崎神社がその後裔らしい。
東光寺が北白川のどこにあったか
よくわからないのですが、
瓜生山の近辺であったと考えてよいでしょう。
瓜生山の山頂には、
「勝軍地蔵」が祀られています。
勝軍=将軍で、牛頭天王のことだったはず。
思えば、瓜生石や粟田神社のある場所も、
将軍塚のふもと。
瓜生山はまた、石切り場として、古代から現在まで用いられた場所。
白川という川が流れていて、この地域の地名となっている。
石張った山を白っぽい色で流れるから、白川と呼ぶんだとか。
播磨の広峯のある地域は、白国(しらくに)という地域。
これは新羅国のことを意味するのですが、
もしかすると「白川」のシラもそうなのかもしれません。
ここは弥生時代の遺跡もあって、じつに古い土地。
北白川の天使
北白川といえば、天神さんが由緒ある社。
天神は道真公ではなく、少彦名(スクナヒコナ)神を祀る「天使社」。
京では、ここ北白川と、五條天神がそうです。
五条は、天使突き抜けという
魅惑の名をもつ通りがあり、その「天使」。
「天使=天子」で、天神の子供の形をさすように思われます。
五条天神は、義経と弁慶が出会った場所であり、
「牛若丸=スクナヒコナ、弁慶=オオナムチ」、
国土開発二人組によるモドキの再話なんだと思う。
義経は「王子」であり、東へ旅する天神の子。
北白川の天使社は、八世紀前半にはすでにあったことがわかっています。
粟田神社ととてもよく似た、剣鉾のお祭りをおこなう。
少彦名と牛頭天王(将軍)のつながりは、
姫路の十二所神社で少し感じたもの。
牛頭天王をもてなす蘇民将来は、
粟飯など粟のものを天王に差し上げる。
少彦名も「粟」の神で、
粟にはじかれて常世に帰る。
牛頭天王(その王子)と少彦名は重なっていて、
「粟」で迎え、「粟」で返す天神さん。
少彦名は、オオナムチと対になって、
日本の国土を開拓する神さま。
オオナムチ=天王、スクナヒコナ=王子
となると、わかりやすいのですが。
粟田神社の祭神は、その感じがあります。
平安京以前の牛頭天王
瓜生石に戻ると。
文献からたどる限り、この石からだけでは、
牛頭天王の結びつきは、九世紀までしかさかのぼれず、
平安京より古いとは言えない。*5
平安京以前にさかのぼれるのは、八坂神社。
社伝では、斉明天皇2年(656年)、高句麗より来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が、新羅の牛頭山に祀られる素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷に祀り、「八坂造」の姓を賜ったのに始まる。
この時点で、瓜生石と牛頭天王が結びついた可能性は高い。
瓜生石のあるのは、八坂神社から徒歩五分、
まさに「八坂郷」ですから。
秦グループがこの渡来人の受け皿になっているにちがいなく、
蘇民将来タイプの伝説は、
もっと以前に知られていたとも考えはすすむ。
(今この名で知られている最古のものは、
長岡京跡で発掘された、「蘇民将来之子孫也」木札。)
結局、弥生以降、渡来した人の本来信仰する神さまは、
このタイプに属するものだけなんだ、というのが私の思い。
京(山城)の各部族で、本家争いというか、
この神を取り合いをしてる気配もあるのです。
長岡京から平安京に遷都するにあたって、
蘇民将来伝説が大きく関わっているのでは
…という疑いを持ちつつ、次回へ。*6
¶ Footnotes:
- 一夜にして実がなるのも、
「一夜で子を孕む」タイプの神話のパターン。
ペンタメロンのペルオントと同系。 [ ↵ ] - キュウリ封じ。
空海がもたらしたとされる、この邪よけの風習をおこなう寺が、
京都にもいくつかあります。
おそらく、牛頭天王のキュウリと関係しています。 [ ↵ ] - 「牛のきた道」では、議論が語源論の迷宮にはいりこんで、
かえって説得力が失われてるんですが。 [ ↵ ] - 「牛頭」という名は、じつはこの神の名としては新しいもので、
古い時代になんと呼ばれていたか。
ひとつは「武塔」(備前風土記逸文)で、
「将」や「蘇」も可能性は考えていいのです。
「うる」もそう。「すく」もそうなのかどうか。
ここはまだまだ、調べてみたいところ。 [ ↵ ] - 神石として祀られていたことは想像してみたいけれど、
もしかすると鉄をはらむ石であるかもしれません。
色もさびっぽいし。
粟田は、鍛冶師を輩出した地域。
名刀もたくさん生まれています。
能の小鍛冶の伝承を持つ「合槌稲荷」もあって、
それは伏見稲荷とのつながりも示唆する。
瓜生石の近くには、「鉄盤石」というのがあったらしい。
(「京羽二重織留」。…今もあるのだろうか。)
小鍛冶宗近が刀を打った石とか。 [ ↵ ] - 天皇は天王として京に迎え入れられたけれど、
9世紀になると貴族が台頭し、本来の形が失われる。
それが不満で、古い伝承を持つ民は、
ふたたび八坂の神を、「天王」として
活性化させることになったのでは、と。
牛頭天王、道真天神さん、牛若丸、赤穂浪士…。 [ ↵ ]
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- 岩神、大井子、あははの辻。 | AZ::Blog - 2008/09/05 Friday 18:23:58




