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西陣のとある一角。
最近区画が整備され、新築の家が並ぶ、この地に、
高さ2メートルほどの巨大な岩が、にょっきりそそり立つ。
綱を巻かれ、神として祀られています。
岩神さま。
お乳の出がよくなるのが、ご利益。たぶん女神さま。
さまざまな来歴を経て、この地にやってきた。
京の民は、ことのほか、この岩神さまに感心があると見え、
その複雑な来し方は文献からたどることができます。
西陣にいらっしゃる前は、今出川門の南、
江戸時代、八条殿があったあたり、路上に転がされていた。
というのも、これを禁裏の後水尾院の築山の立石としたところが、
禿童(カムロ=カッパ)と化して夜行する、吠えるなどの妖怪事。
道に放られたあと、寛永のはじめ、西陣に祀られたらしい。(「菟藝泥赴」)
庭石にされる以前は、中山神社に祀られていた。
中山神社は、二条城の南、岩上通りにあります。
「岩上」というのは、もちろん岩神さまのこと。
この神社は、以前はもう少し北、
今は二条城の東北辺にあたる場所にあった。
二条大宮、通称「あははの辻」のあたり。
冷泉院があり、
そもそも岩神さまはそこに祀られていたもの。
冷泉院は、もとは「冷然院」と書いたが、
火災が相次ぎ、「然」の字が「燃」に通じることから、
これを「泉」に換えたといいます。
冷泉院の池の中島に、火神を祀るものとして、
岩神さまを置いたところ、
しばしば光を放ち、託宣があって、
「門の前に車馬の往来が激しく、
こんなところでは住む気になれないよ」
こうして、後冷泉院のころ、社が建てられた。*1
その神、韓神につき
岩神さまには、もうひとつの伝承がある。
三井寺の新羅大明神と同体だ、というもの。(「雍州府志」「京師巡覧集」)
智証大師円珍が唐から帰る船の上に神が出現、
「われを新羅大明神として祀れ」と託宣を受けた。
「新羅大明神」は、まさに韓神。
おそらく、蘇民将来タイプの神さま。
「蘇の神」であり、園神韓神。
天王・王子、そして井戸の女神・はり采女、
と祇園の伝承では名づけられるもの。
とりわけ、はり采女タイプの、
水の女神で、母体であるものを、
代表的に祀ったもの…ではないだろうか。
三井寺は、「御井の寺」。
天智・天武・持統天皇の三帝の産湯の冷泉を、
智証大師円珍が法儀に用いたことに由来する。
新羅大明神は、井戸の女神の気配がある。
岩神さまが、平安京以前から存在し、
泉の女神、はり采女を象徴するものとして、
この地に置かれていた
…というのが、目指す結論。
園神とされるもののご神体は、
岩と泉(お池)であったと。
あはは(粟々)の辻
岩神さまのあった冷泉院の西北角は、
大宮二条、通称「あははの辻」。
中世、百鬼夜行のメッカ。
「あははの辻」は「あわわの辻」と読む。古典仮名遣い。
この世とあの世の「あはひ」、
都市論の観点から、怪異の顔を出すこの辻を、
平安京のほころびと見るのが、従来の説。
境界領域をあらわす、「あはは」。
「あはは」という地名を持つ場所は、
播磨國風土記に出てきます。
「粟々」「鴨波」と表記される。
今の加古川のあたりでしょうか。
粟が生える地。
粟々の辻。
山城国(京都)の、のちに神泉苑となる一帯も、
粟田が広がっていたものか。
平安京以前、このあたりが「あはは」と呼ばれた証拠は、
文献上には見つからないのですが。
粟田といえば、京都では粟田神社。
粟田氏は、八坂氏と結んだ古い部族。
鍛冶の伝統があり、能で知られる相槌稲荷は、
刀鍛冶を稲荷の使いが助けたという伝承によるもの。
伏見稲荷と関係があり、
伏見稲荷といえば、また秦のテリトリー。
平安京以前の諸部族のネットワークが、
うっすら透けて見える。
神泉苑、あははの辻となるあたりは、平安京以前、
山城の開発地域の中心で、諸部族の会合のあわいであったと。
そして、粟田神社といえば、
瓜生石を祀る、牛頭天王の伝承地。
「粟々の辻」と表記すると、
そんな空想が広がってきます。
それに、粟といえば、牛頭天王の好物。
蘇民将来は、粟飯で天王をもてなした。
また、スクナヒコナが常世へ戻る際、
粟に弾かれる、カタパルト。
もうひとつの表記、「鴨波」は、
「鴨=賀茂、波=波多(秦)」を思います。
山城では、賀茂氏と秦氏はつながりが深く、
婚姻関係も密で、上賀茂の宮司は、
秦氏から出ていた。
播磨も山城も、「あはは」は、
秦グループの開発した地域、ということかも。
平安時代になっても、次々とやって来る渡来人。
その受け皿は秦グループであり、
渡来した民を列島の各所に配して、開発を進めた。
オオナムチ・スクナヒコナの国土開発凸凹コンビは、
長く生きのびた伝説だったようなのです。
百鬼夜行の正体
あははの辻といえば、百鬼夜行。
怪異が相次ぐ場所で、夜な夜な鬼の祭りが通り過ぎる。
11世紀末、「中右記」の永長大田楽を綴った条りに、
田楽の一行が踊り狂いながら、冷泉院を目指した、とある。
岩神を目指していたのです。
田楽隊は、中山明神(岩神さま)に妙曲を尽くしたと。
この現象と、百鬼夜行は、
同じ源から現れているように思えます。
田楽隊は、ほとんど祇園祭と同じ、
御霊を祀る民衆のシャリヴァリ。
そもそも百鬼夜行も、
貴族の目からはおどろおどろしく映った、
夜な夜なの民衆の、スーダラ(志多良)ではなかったか。
スラスラ、スイスイスイ〜、と。
この地の怪異はいろいろあるのですが、
ちょいと一霊くらいあげておくと。
今昔物語集に出てくる、冷泉院の水の精。
浅黄色の上下つけた翁が捕えられる。
小人である。お池の精であるらしい。
水桶に入れると溶けて、縛った縄だけが浮いていた。
…そんなお話。(巻27−5)
リトル・グリーン・マン。
浅黄(浅葱)色とは、十六進数で、#00A4AC。
西洋の妖精は、この緑色の服を着た小人として真夏に出没するもの。
なぜだか両者はよく似ている。
このリトル・グリーン・マン。
「浅黄色の上下つけた翁」は、今昔物語集の、
別な場所にも出没します。
「清行、家渡りの語」(巻27−31)。
三善清行が醒ヶ井通りのお化け屋敷からお化けを追い出す話。
さまざまなヘンテコ妖怪が出没して、清行を嚇かそうとする。
最後に、浅葱色の翁が登場し、
この家からは出ていく代わり、大学寮の南、神泉苑の西のあたりに、
移り住むことを許される。
この、お化け屋敷のあった場所。
園神韓神が大内裏を出たあと、
祀られたとされる、醒ヶ井の観音寺と、
目と鼻の先。
そして、出て行ったお化けの新天地は、
神泉苑の南で、井戸と泉を通じて、
地下水脈で、冷泉院の池とつながっている。
浅葱色の翁は、同一人物(妖怪?)なのかも。
そもそも醒ヶ井が地下でつながる水脈なのか。
園神と浅葱色の翁と。
あと、カッパ(禿童、水の精)がリトルグリーンマンであることも。
翁の正体はカエル王なのか。いや、ケロロか(;・∀・)
平安時代、すでに地球侵略は始まっていたのか?!
高島の大井子、もうひとつの井戸の女神

滋賀の高島には、「古今著門集」に出てくる
怪力無双の女、大井子。
岩と水…そのふたつを結びつける、思いがけない水の女神。
岩神と神泉苑の関係を思う上で、
突拍子もなく、大井子を引き合いに出してみる。
巨石をぶん投げて、川の流れを変え、
自分の田んぼに我田引水する烈女。
東国から京にのぼる相撲取りの氏長の腕を、
脇の間に挟んで動けなくし(「ちんぽを股にはさむ」の婉曲表現w)、
逆レイプする猛女。
氏長は彼女のブートキャンプで鍛え上げられ、
都にあがって、相撲の節会で優勝するのです。
「大井」というと、桂川がかつて「大堰(おおい)川」と呼ばれ、
それは秦氏が川に堰堤を作ったから。
大井神社もあり、堰はなかば神。
桓武天皇も、よく行幸しています。
大井子が出現するのは、
石橋という場所で、頭には川で汲んだ清水の水桶を載せる。
水の女神であり、橋姫でもある存在。
大井子=はり采女。
この式が成り立つとすれば、
都へ向かう相撲の氏長は、旅する神さま、牛頭天王。
牛頭天王は、粟飯でもてなされるけれど、
氏長は、大井子が作った握り飯を食う。
怪力女が握った飯は、すさまじい固さ。
氏長は泣きながら、三週間かけて、これを食べる。
大井子ブートキャンプの特訓のはじまり。
また、大井子が自分の田に水を引くため、
ぶん投げたとされる巨石は、水口石として、
今も高島に祀られています。
おそらく、石橋とセットで、
治水・灌漑工事を象徴する水の女神さまとして、
大井子=巨石がある。
土木を得意技とした、秦グループの信仰・伝承。
岩神さまもまた、平安京以前、
灌漑池(のちの神泉苑)の北東角に置かれた守り神。
水の女神の象徴として、
「あはは」の地に祀られていた。
…そう空想してみるのです。
平安京以前の、三つの石
岩神さまが、大宮二条「あははの辻」あたりにあったものとして。
瓜生石と牛頭天王の結びつきが、
およそ平安以前にたどれそうなことは、前の記事で見ました。
瓜生石は地に埋まっている石だから、
知恩院前のあの場所に、ずっとあったはず。
道路ができても、動かせない。
さらにもうひとつ、六角堂のヘソ石が、
聖徳太子の時代からあったはずのもの。
この三つを結んだライン。
さらに西に延長すると、太子道に重なっていく。
太子道は、聖徳太子が太秦に通った道とされ、
平安京以前の古道と言われます。
東西をまっすぐ結ぶものではないけれど、
桂川の大堰があったあたりから、
秦の本場の太秦、広隆寺や蚕ノ社を経て、
神泉苑のあたりに出る。
東からは、東山の瓜生石からヘソ石を経て、
神泉苑のあたりへ。
山城の国に生きる、諸部族が、
市やまつり、婚姻のため、会合するには、
ちょうどよい「あはひ」であったかもしれません。
山城国は渡来系の諸部族が開拓した地。
彼らの基本的な信仰は、
蘇民将来と同タイプの神話だったはず。
この地図を下敷きにして、平安京が出現する。
そして、のちのち、さまざまな形で、
地下水脈は噴出し、蘇の神が蘇る。
祇園祭、道真天神さん、御霊の八柱、
陰陽師たち、山伏たち、
それに義経・牛若丸も。
…妄想は、歴史の闇へ溶けていく。。
++++++++
だいぶ、この問題を煮詰めることができました。
蘇民将来の伝説は、予想をはるかに越えた普遍性がある。
岩神さまは、私のポニョだったかも。飛びつかれると、重すぎるけど。
彼女の本当の姿は見出せた(と妄想する)。
「悪王子」が残った。
悪王子=赤穂という、ものすごい憶測を考えています。
藤原氏と秀吉にかかわるので、まだゆっくり調べる必要がありそう。
¶ Footnotes:
- 後冷泉院の御世、永承5年6月16日に社が立てられ、
同年の11月には従三位を授かり、
天喜元年4月、はじめて官幣を承る。(「出來齋京土産」) [ ↵ ]
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