AZ::blog Home >> Archive by category 'OVQ神話学 >> 牛頭天王と京都'
23
Apr
2009

うしろの京都 – 京都魔所めぐり #03 「西陣の岩神さん」

   
  

うしろの京都 京都魔所めぐり魔所めぐりの3回目は、西陣の岩神さん。
西陣の住宅街の中に、忽然と出現する巨大な神岩。
最近、帯の渡文さんを中心に、あたりの街並みを整備されて、たいへん綺麗なたたずまいになっています。
岩神さんもお喜びにちがいないですヽ(´ー`)ノ

じつは戦前、岩上さまのおそばには、南座に匹敵する、大きな芝居小屋があったそうです。
その名も「岩神座」。
尾上松之助が牧野省三に出会うという日本映画史の黎明を告げる邂逅も、ここでの出来事。
天明の大火で焼けるまでは、有乳山岩神寺という真言系の寺院があり、お乳の出がよくなるということで、信仰をあつめていました。
お隣は聖天を祀る雨宝院があり、にぎわった場所だったようです。

西陣の岩上神社

 
17
Apr
2009

鵺塚と牛頭天王

   
  

鵺=秦河勝

国芳の鵺図前の記事「魔所めぐり #02」で取り上げた、鵺神社。

能の「鵺」で、ヌエの屍骸がうつほ舟で流されること。
そして、その作者・世阿弥は、「風姿花伝」において、うつほ舟で流されるのが、能の始祖・秦河勝としていること。

さらに、鵺神社のある場所は、平安京以前から祀られていたという「園神・韓神」の社のあった場所だということ。
そして、平安京以前、河勝の邸があったという伝承があること。

これらをつないで、「秦河勝=鵺」という仮説を立ててみました。
そして、思い切った推論として、鵺の正体である園神韓神とは、蘇民将来の神「婆梨采女・牛頭天王・王子」の聖家族ではないか、とも。

こっそりお知らせしておけば、千年以上にわたって封印されていた京都の謎が、今ここに解かれつつあります。内緒です。

(梅原猛さんは、能の「鵺」が世阿弥の最高傑作であるといい、ほとんど「鵺=河勝」一歩手前の見解を述べておられます。→第6回 哲学者 梅原猛氏 : 日本文化の源流を求めて : 大学新時代 : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

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5
Sep
2008

岩神、大井子、あははの辻。

   
  

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西陣の岩上神社

西陣のとある一角。
最近区画が整備され、新築の家が並ぶ、この地に、
高さ2メートルほどの巨大な岩が、にょっきりそそり立つ。
綱を巻かれ、神として祀られています。

岩神さま
お乳の出がよくなるのが、ご利益。たぶん女神さま。

さまざまな来歴を経て、この地にやってきた。
京の民は、ことのほか、この岩神さまに感心があると見え、
その複雑な来し方は文献からたどることができます。

西陣にいらっしゃる前は、今出川門の南、
江戸時代、八条殿があったあたり、路上に転がされていた。
というのも、これを禁裏の後水尾院の築山の立石としたところが、
禿童(カムロ=カッパ)と化して夜行する、吠えるなどの妖怪事。
道に放られたあと、寛永のはじめ、西陣に祀られたらしい。(「菟藝泥赴」)

庭石にされる以前は、中山神社に祀られていた。
中山神社は、二条城の南、岩上通りにあります。
「岩上」というのは、もちろん岩神さまのこと。
この神社は、以前はもう少し北、
今は二条城の東北辺にあたる場所にあった。


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二条大宮、通称「あははの辻」のあたり。
冷泉院があり、
そもそも岩神さまはそこに祀られていたもの。

 
2
Sep
2008

その神の名は(園神韓神と蘇民将来、そして鵺)

   
  

その神をみやこに

園神韓神(そのかみ、からかみ)。

桓武帝が平安遷都のとき。
園神韓神という神さまがすでに祀られていて、
建都のため、これを取り除けようとしたところ、神託があり、
「長くこの地にあり、帝都を護らん」と。
こうして、韓神園神は、
大内裏に当初から祀られた、唯一の社となった。

延喜式によれば、

「宮内省坐神三坐 園神一坐 韓神社二坐。
春二月冬十一月丑日 祭之参議一人就祭所行事」

園神が一座で、韓神が二座。
合計、三座が宮内省にまつられた。

園神=婆梨釆女
韓神=牛頭天王と王子

なんだと思うのです。
この名前で呼ばれていたかどうかは、わからないけれど、
同じ型の信仰が、ここにあった、と。*1

ちかきだに 聞かぬみそぎを なにかその
        から神
までは 遠く祈らむ

ー少将内侍(「後拾遺和歌集」)

少将内侍は、少将(=牛頭天王とその王子)につかえる巫女。「うねめ」としての生き神、ハリ采女。
同じく、後拾遺和歌集の歌人である「少将井の尼」も、そう。


¶ Footnotes:
  1. 牛頭とは呼ばれてなかったかもしれない。
    この名前の文献登場は、わりと新しいから。
    牛には関係していただろう。
    天王とか、天神・天使とは、
    呼ばれていた可能性がある。
    すると、天皇とダブってしまうので、具合が悪い。
    そこで、韓神というよそよそしい一般名で呼ばれていると。 []
 
1
Sep
2008

瓜生石の謎

   
  

瓜生石、キュウリ、牛頭天王


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瓜生石(うりゅういし)。
知恩院前の道路のど真ん中に、ご鎮座まします神の石。

知恩院より古い由来を持つ。
貞観2年(860年)6月14日の深夜のこと。
この石に一夜にして瓜(キュウリ)が生り、
牛頭天王が宿った、というもの。
その後、牛頭天王の新霊は今の粟田神社に移られた。

「牛頭天王」の文字が表面に浮かんだとか、異説もあるけれど、
これは桃太郎やかぐや姫・瓜子姫と同様、
「うつほ」に神が宿りつくことなので、
実のうちに宿ったとみるのが正統。*1

八坂神社の紋はキュウリの輪切り

素盞嗚尊こと牛頭天王を祀る八坂神社の紋は、
輪切りにしたキュウリの断面をかたどったもの。
粟田神社では、神輿を瓜生石の上に置いて、神を宿らせる行事が、
明治まではおこなわれていたそうです。
ちょうど、少将井の井桁の上に神輿を置いて、
神を宿らせるのと、ペアになってる感じです。


¶ Footnotes:
  1. 一夜にして実がなるのも、
    「一夜で子を孕む」タイプの神話のパターン。
    ペンタメロンのペルオントと同系。 []