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2
Jul
2008

QnapShots#038 茅の輪をくぐる

  

茅の輪をくぐる

「蘇民将来、蘇民将来。」

三十日、北野天満宮にて、夏越祓。
なぜか、「レイダース 失われた聖櫃」と「スターゲイト」を思い出す。
夏は、すぐそこ。

...

6
Jul
2008

奇書の旅#001 「福来友吉博士著・透視と念写」

  

福来友吉博士著「透視と念写」

毎度まがまがしいお話を…というわけで、奇書を旅するシリーズを始めてみるのです。
第一回の今回は、千里眼事件で有名な福来友吉博士の「透視と念写」。
大ヒットホラー「リング」のモデルとなった、明治末から大正初めの、透視・念写の実験の記録です。
千里眼事件 - Wikipedia

この本、なんと福来博士じきじきの署名入り。
一緒に実験をした京大の今村博士に贈呈されたもののようです。
福来博士も手にした、本物。霊力を感じる。。
今は同志社大図書館にあり、以前は、下村孝太郎氏の蔵書だったらしい。(この本が旅したコネクションは興味深い。)

福来博士のサイン

念写。
オウム事件以前はテレビでよくやってました。ポラロイドに念を送る超能力少年とか。
その元祖が、福来博士の一連の実験。
密封された写真乾板に念を送って、文字や風景を映し出す。デジカメだと難しそう。

長尾婦人の念写

ラジウムやX線が話題になっていた時代。
見えない何かが物質に影響する…そのことが異様に人々の胸を踊らせていた。
もしかすると、人間にだって目に見えるのとはちがう仕方で物を捉えたり、
放射線のようなものを発してフィルムを感光させたりできるんじゃないか。
「科学」の名において人々はそんな空想にふけっていた。

科学上の新発見は、意外と人間の妄想を刺激するもの。
「こんなことがありえてしまうのなら、あんなことも」とSF的連想力が活性化する。
当時の新聞には、連日のように、日本中の「千里眼」たちが報告されていたそうです。

疑問の余地なき事

「透視の事実たることは最早疑ふべき余地の無いことである。」
そう断言する福来友吉は当時、東京帝大の助教授で、変態心理学を専攻する文学博士。
人間の心の深層、意識の外側にあるようなものに興味を持っていた。
理科系じゃないんです。懐疑的に実験を行っているんじゃない。

学業のどこかの段階で、ヨーロッパの神秘思潮に、触れていたはず。
日本では「こっくりさん」などは民間のブームだけど、
ヨーロッパの降霊術は知識人や権力階級の社交的な場でたびたびブームに。
フリーメーソンのような神秘思想を背景にした秘密結社の伝統もある。
もともと科学とオカルト的なものとは、手を携えて進んできた。
世界のうちに隠された神意を見出す…という信仰。

「透視と念写」奥付

ヨーロッパ文学を専攻して、ブレイクとかベーメの研究をしていれば、
「事件」もなく、大きな業績を残せたかなあ。。
振り返って言うのはやさしいけれど、自分が何をやりたいか、何に向いているのか、
何をやっているのかさえ、人生の途上ではよくわからないから。
死なないと、人は人の形にならない。

この本で、三番目の「能力者」高橋貞子のケースでは、
彼女自身の意識を越えた「霊格」なるものが登場。
英国の詩人イエイツが、催眠状態の妻の自動書記に、
人智を越えた世界からのメッセージを読み取ったのとよく似ています。

千里眼事件―科学とオカルトの明治日本 (平凡社新書)


長山 靖生
¥ 756 / 平凡社
( 2005-11 )
通常24時間以内に発送

本書の表紙の赤色及び扇の模様は高橋夫人の霊格の指図に基きて工夫されたものである。

高橋夫人は「能力者」のひとり、名前は貞子さん。
「リング」の貞子は、ここから採ってるようです。井戸には落とされてませんが。たぶん。
ふっくらかわいらしい女性。髪型がAKIRAに出てくるミヤコさま風。
そういえば、井戸の方の貞子さんは、ダビング10を喜んでるんでしょうかねえ。
DVDでは苦労したにちがいない。今度はブルーレイだし。念写もデジカメだと難しい。デジタルに弱い呪い。。

以下の御影は、高橋貞子さん、御船千鶴子さん(服毒自殺、24歳)、長尾郁子さん(実験後まもなくインフルエンザで死亡)。

能力者たち3・高橋貞子さん
能力者たち1・御船千鶴子
能力者たち2・長尾郁子さん

この本を出したあと、福来博士は、追放のような形で東大を休職。
どういう人縁があったのか、その後、高野山大学のほうで、研究を進めていく。
昭和になってからは、ヨーロッパのスピリチュアリストたちと交流、「透視と念写」の英訳も(Claivoyance and Thoughtgraphy 1928)。
晩年は土井晩翠志賀潔と知己を得、心霊研究の会を立ち上げたり。この頃は少し幸せだっただろうか。
実験という方法ではアンチノミーに陥るだけ。それは信のこと…生きていくことのうちに見出さなければならない。
昭和27年没。83歳の長寿でした。不思議な人生。

透視も念写も事実である  ――福来友吉と千里眼事件


寺沢 龍
¥ 1,890 / 草思社
( 2004-01-25 )
通常3~5週間以内に発送

...

「イワンのばか」とカラマーゾフの兄弟

  

トルストイの寓話化で有名なロシア民話「イワンのばか」と、「カラマーゾフの兄弟」の関係について。無垢な愚か者が神に愛される、ということ。神は証明すべきものではなく、信仰すべきもの。わが邦では炭焼長者譚。...

「荒涼館」のお岩さん

  

ロンドンのディケンズ、ロシアのドストエフスキー

「カラマーゾフの兄弟」「白痴」
といったドストエフスキーの大作が、
ロシア民話「イワンのばか」を下敷きに、
その象徴性を深読みして、巧みな変更を加えたもの
…ということを書いてみた前回

民話を元に、つむがれた近代小説。
これをさらにディケンズにも適用してみると、
深みにはまって面白いかも
…というのが、今回のお話です。

ドストエフスキーはディケンズが大好きでした。
「ディケンズでまだ読んでない作品があるなら、
それは君の人生の幸福が残されているということ、
なぜならまだ新しいディケンズを読むことができるんだから」
…そんなことを言っています。

ドストエフスキーの長編小説は、
ディケンズのロンドンをロシアに移植したもの。

そう言ってもいいくらい。

ディケンジアンは多いんです。
ドストエフスキーがディケンズをロシアに移植したように、
カフカはプラハに、
ジョイスはダブリンに、
フォークナーは南部アメリカに、
マルケスは南アメリカに、移植してみせた
…そんな文学の系譜は成り立つはず。
どこでも育つ強い根を持つ小説。*1

神に愛される子供、回心、価値の転倒

「神に愛される愚か者」こそが小説の主人公。
ドストエフスキーはこの考えを、イエスとドン・キホーテと
ピクウィック(ディケンズの最初の小説の登場人物)から学んだ。

ディケンズの作品の多くは、
「貧しい子供が、無垢ゆえの受難ののち、富を得る」という筋。
財産相続。結婚の主題。
「炭焼き長者」…愚か者の若者が
長者の娘と結ばれ、黄金を掘り出し大長者になる
…という民話と、
とてもよく似たモチーフになっています。

富とは何か、価値とは何か。
マネーとはちがう、価値の本当の意味を取り戻す
…「回心」といっていい、価値の転倒が起き、
キリスト教的な大団円が予定されています。
(クリスマス・キャロルの長者=スクルージが有名。)

もちろんディケンズは、「炭焼長者」なんて知らないですから。
民話を意図的にモチーフにしたわけでもないはず。
でも、なぜか似ている。

そもそもディケンズの生い立ちそのものが、
すでにオリバー・ツイストのよう。
貧しい子供が大作家になる。
資本主義が強大化するロンドンで、
マネーと価値の問題は生活の中心課題でした。
長者譚と形が似てくる理由はあるのです。

ディケンズは読み終えたあとから、
本当に「読む」ことがはじまる
作家。
ネルやエスタやドリットちゃんならこんなとき、どうするだろう」
読み終えたあとから、人生の折節に伴走するキャラクターたち。
登場人物の造型が的確なんですね。鋭く深く突き刺さる。
書かれなかったエピソードが無限に広がる。
作者の意図などはるかに越えて、読者が生きて育てていく物語。

ディケンズ「荒涼館」

日本の読書っ子は、ディケンズをあまり読んでこなかった。
それは例えば、ウィキペディア「荒涼館」の項目の、
日本と英語の極端な温度差にも現れています。
(日本の解説を書いた人は、たぶん「荒涼館」を読んでないですw)
しかし「荒涼館」は、小説というジャンルの最高の達成のひとつ。

荒涼館 - Wikipedia
Bleak House - Wikipedia, the free encyclopedia

ディケンズ・フェロウシップ日本支部 ディケンズ:Bleak House:梗概

ディケンズの魅力は筋の面白さ、キャラクターの端的な造型、
そして文章の曲折(あや)にある。
限りなく浅く読むことも、
限りなく深く読むこともできるあやうさが、ディケンズ作品にある。
その象徴性をどう読み取るかで。
読者の生きてきた生の深さまで測られるか知れない。
後期ディケンズは中年以降の読書と言えそう。

「荒涼館」は遺産相続をめぐる裁判
ジャーンディスvsジャーンディス」から始まる。
何世代にもわたってうち続くこの裁判。
あまりに複雑化し、もはや誰もその全貌を知らない。
数万ページに及ぶ裁判書類は、発狂者や自殺者を派生し、
裁判に関わったものの心を汚していく。

カフカの「審判」はおそらくここから由来しています。
この裁判はきわめて象徴的なもの…として読むことができます。
(裁判の終わり方も、カフカ的にシンボリック。)

この長大で複雑な作品のあらすじを、
紹介するわけにもいかないのです。
無垢な子供たちの受難、アダルトチャイルドのスキムポール
…書いてみたい話題はたくさんある。
人体自然発火現象の異様な描写が続く文章は、
ナボコフがものすごい勢いで誉めちぎっています

ともあれ主人公のエスタ・サマソンは、
話の途中で天然痘をわずらい、顔にあとが残ります。
でも、彼女は本当の美しさを知る男と結ばれ、
最後は幸せになる…というのが結末。

ひとつひとつのエピソードのあらすじを取り出すと、
民話のようにシンプルで、
神話的な何かに触れていることを感じさせます。
そして、それらが複雑に絡み合って、深い象徴性を獲得する。

じつは「筋」だけ追うと破綻してるところもある。
ミステリーとして読もうとするのは、ちょっと方向が違っている。
おそらくそれは後期のディケンズが、
象徴性ということをより重んじたため。
だから、カフカはディケンズや
フロベールのよい読者になれたんです。
深読み病をわずらうフランツ☆

「荒涼館」のお岩さん

あえて思い切った誤読をしてみようと思うのです。
「荒涼館」の主人公エスタ・サマソンと、
四谷怪談のお岩さんが、同一人物なのではないか、と。

岩は、神話の段階では、イワナガヒメ(磐長姫)であったもの。
美人の妹・コノハナサクヤ姫と、醜女の姉・イワナガ。
東アジアに広く知られた神話によれば、
男が木花咲耶姫をめとることで、
その子孫である人類の命は、花のように儚くなった、と。
もしイワナガをめとっていれば、
命は石のように永遠であったものを。

逆に、イワナガを嫁にした男
…炭焼き長者がじつはそうなんですが、
彼の一族は永代にまで富栄える。

お岩さんは、関東地方でダイダラボッチとともに
形を変えながらかすかに伝承していたイワナガヒメの物語が、
かすかに残響しています。
「岩」という名前の不思議、*2
そして片目がつぶれた一つ目の姿で描かれること。
(これは、たぶん新説。かなり長い説明を要しますが、今は略…(;・∀・)

価値の転倒。
それが主題です。
醜女を嫁に迎える男が幸福になる。

「炭焼長者」では逆に、長者の娘が
ヘタレ男のところに嫁に来る、
というバリエーションを持っている。
嫁が家から持参した大切な小判を、
池の白鳥に投げつけて遊んでしまう、
物を知らないにも程がある、愚かな炭焼の若者。
でも、彼は「黄金」を宝とも知らず大量に持っていて、
やがて長者になる。
美と醜、黄金と幸福をめぐる、価値の転倒。*3

四谷怪談も本来は、価値の転倒と
ハッピーエンドが予定されているはずなんです。
でも、伊右衛門は、岩ではなく、
いわば、コノハナサクヤヒメのほうになびいていく。
ために、物語は不幸な結末を迎える。

岩は怨霊として、永遠の生命を得る。
赤穂浪士の討ち入りが、民衆の心のうちでは肯定されながら、
公には否定されてしまう社会での出来事。
八犬伝と維新は、まだ。夜明けは遠い。

京極夏彦は「嗤う伊右衛門」で、
あえて伊右衛門の態度を変更し、岩に寄り添わせた。
ぎりぎりのハッピーエンドが手向けられています。
フォークナーの「エミリーに薔薇を」のように。

ハッピーエンド

「荒涼館」は、
「even supposing でも、もしかしたら」
というエスタの独白で終わります。

何が「もしかしたら」なのかというと、
その直前の、「元の顔」をめぐる、夫君との対話を受けています。

“My dear Dame Durden,” said Allan, drawing my arm through his, “do you ever look in the glass?”
“You know I do; you see me do it.”
“And don’t you know that you are prettier than you ever were?”

「ねえ、ぼくのかわいい小さいおばさん」とアランは言いました。私の腕を引きよせながら。「君は鏡を見ないの?」
「知ってるじゃない。私が見てるところを、あなたも見ている」
「じゃあ、君は自分が前よりきれいになったことを知らないのかい?」

前よりきれいになったことを知らないのかい?」

エスタは自分を省みず、他人のことばかり考えて、
働きまくる娘としてずっと描かれてきた。
彼女のあだ名は、「小さいおばさん Dame Durden」なんです。
家政婦として登場し、浮浪児を助けて病気に感染する。
周りのことに一生懸命で、「自分自身を見ない」。

この小説の語りは、三人称の客観視点と、
エスタ・サマソンの一人称のふたつが、交互に現れる。
そして、「自分自身を見ない」エスタの出生の謎が、
大きなミステリーになっている。
彼女の顔がその鍵。
しかし、エスタは自分を見ない。
裁判にかかわる人々が、
「自分ばかり見る」病気に冒されているのとは対照的に。

たぶん、エスタの出自は、小説の語りそのものにある。
その点で「探偵」と似ています。
例えば金田一耕助は、事件を止めることにおいては無力であり、
ほとんど客観視点のように事件を眺めるばかり。
しかし、「正義」に対する感触が、
彼(三人称客観であるべきもの)を事件の現場の内に登場させる。
何もできないにせよ、彼は見る。謎を解く。泣く。
まるで神が無力な子供や、
みすぼらしい流浪人の姿でこの世に関与するように。

エスタは最後に、「もしかしたら」と自分を見る。
この世界に形あるものとして存在する。
みんなから見られるものとして。
お岩さんのように幽霊としてではなく、
この世のものとして永遠となる。

正確には彼女は、夫や子供たち、親しい人々が
こんなに美しいのだから、それだけで満足…
最後の最後に「でも、もしかしたら」と考える。
ナボコフは「荒涼館」の語りを分析して、
最後に三人称客観と一人称エスタが合流する、と述べています。
他人の世話ばかり焼く「小さいおばさん」として、
それはこの世界に実在するのです。

物語っていうのは、こんなふうに読んでいいんじゃないでしょうか。
というか、そんなふうに読んでしまっている私(;・∀・)
本を読み終えて閉じたあとから、ほんとの読解が始まる。
それは自分の人生といっしょに育っていくものであるはず。
神話や民話はそのように語りつがれてきたのですから。
イワナガヒメの断片は、このようにさまざまな場所に、
さまざまな仕方でうめこまれ生きてきたし、
これからも生きていく神話なんだと思います。*4

「鏡よ、鏡。
ほんとうに、美しいのは、
誰?」

でも、もしかしたら
…いちばんみにくく、みすぼらしいものが、そうなのかもしれない。
それは受難を経た、無垢なるものであるのだから。


¶ Footnotes:
  1. 中上健次は我知らず、
    日本の路地にそれを植えていた。
    長生きしてたら、自分はディケンズの転生だと名乗ったでしょう。 []
  2. しかも「岩」さんは文献上実在が確認される。 []
  3. もともとは「岩」から「黄金」が生まれる、
    という鉱山師(錬金術師)の伝説が背後にある。
    ユングをまたずとも、早い段階で「心理的」な寓意が読み取られているわけです。 []
  4. 民話の方が、神話の本来の姿をしていること。
    古事記に書かれたものなどに比べても。
    神様には名前がなく、姿をもって現れるときは、
    炭焼藤太だったり、なんとか太郎だったり。
    それはすぐそばにいる。
    というより、自分自身が生きているのが、
    神話なんだということ。 []
...

18
Jul
2008

wordpress2.6にアップグレード

  

祇園祭も終わって、京はすっかり夏。暑い。
祇園祭の話も書きたいのですが、今週は妙に雑事に追われて小忙しいのです。
小忙しいついでに、wordpressを初アップデート。なぜ。
次回の参考になるよう、以下、手順を自分用メモ。

1.バックアップを取る。

●ftpで、wordpressフォルダごと、すべてのファイルをダウンロード。

●データベースのバックアップ。
phpMyAdminを使う。
(ロリポップユーザーの場合、ユーザ専用ページへログイン、「WEBツール」から「データベース作成」をクリックし、wordpress導入時に作成したデータベースへ。)
wordpress用のデータベース名をクリック。
「エクスポート」。
テーブルを「全選択」。
「DROP TABLEを追加する」「完全なINSERT文を作成する」「ファイルで保存する」にチェックを入れ、
「実行する」をクリックして、ファイルをローカルに保存。

2.プラグインをすべて、オフにする。

3.新しいwordpressをダウンロードして、解凍。
ftpでサーバに「wordpress」フォルダを作り、パーミッションを777に。
解凍した中身をすべて、wordpress内へアップロード。

4.カスタマイズしたファイルを戻す。
バックアップ用にダウンロードしたwordpressフォルダから、
.htaccess
wp-config.php
をアップロード。

同じくバックアップ用フォルダの「wp-content」から、
使っていたプラグインとテーマ
「uploads」フォルダ
をアップロード。

5.データベースをアップグレード。
「ほげほげ/worpress/wp-admin/upgrade.php」にアクセスして、データベースをアップグレード。
プラグインをオンにする。

手順がわかれば、カンタンです。

...

19
Jul
2008

日本のハリウッドの猫

  

土曜日のNHKBS・衛星映画劇場は、クロサワ特集。
毎土曜というわけじゃないらしくて、あったりなかったり。
見落とした回もあるんですが、今日は「白痴」のようですね。
没後10年 黒澤明特集

「世界のクロサワ」
若い人は知らないでしょうが、
3の倍数でアホになるギャクは、黒澤明が始めたものです…三悪人、三四郎、三十郎、三船…(大嘘
そのギャク(と「羅生門」という作品)で、ベルリン映画祭金獅子賞を獲得しました。
のちに、ビートたけしが「コマネチ!」で受賞したのも、クロサワという先駆者があったからこそ。

獲得した金の獅子は、「日本のハリウッド」に飾られています。
(銀のほうは、五個貯めると、金に交換してもらえるよ…USO800)

黒澤明「羅生門」金獅子・オスカー受賞碑(太秦中学=旧大映撮影所)

「日本のハリウッド、太秦」
アメリカのハリウッドに行ったことある人に、面と向かって言うと、ちょいとこっぱずかしいです。
でも、そーゆーところから、日本の偉大な映画は作られたってことは、価値がある。
小さい隅っこからでも、銀幕にでっかい夢は描けるのさ。金を出す人がいればね(* ^ー゚)ノ

金獅子像(レプリカ…のはず)とオスカー像が置かれているのは、太秦中学の前。
写真は春に写したもの。桜が咲いてます。季節感ねー(゚▽゚*)

太秦中学は、もとは大映の撮影所があった場所。

大映京都撮影所跡

大映の京都撮影所は今はもうないけど、
東映の撮影所は、ここから北にまっすぐ数百メートルほど行った、どん突きあたり。
映画村とか広隆寺とかが、すぐ近く。新人募集中☆彡

太秦東映撮影所

本場のハリウッドみたいな、スターの手形はない代わり、
ここ太秦に、三吉稲荷(さんきちいなり…また3だよ)という神社があります。
(太秦中学と東映撮影所の中間地点)

太秦の三吉稲荷

「牧野省三先生顕彰碑」が建っています。
石柵に銘打たれた寄進者の面々も、往年のスター、映画関係者たち(と思う…調べきれんw)。
大河内伝次郎の寄進銘らしきものも、発見。

リンク先で、でっかい写真に拡大してもらうとわかるのですが、
鳥居から四つ右の石柵には、「入江たか子」という奉納者名が。

椿三十郎」で、三船敏郎演じる三十郎の背中を踏み台にして(!)、
塀をよじ登る小太りのご婦人を演じたのが、入江たか子さん。
「椿」の中で、ユーモラスなほんわかした雰囲気をもたらす、グレートマザー。*1
三十郎のギラついた刀を収めてしまう鞘…という、重要な役を演じた女優さん。

もともとは美人のスター女優としてデビューしたものの、
病気など不幸が重なって、戦後は「化猫」シリーズで復活。
ちょっとイロモノの扱いを受けてたところでの、「椿三十郎」出演。
その後、市川崑(病院坂の首縊りの家)、大林宣彦(時をかける少女)と、
ちがいのわかる監督たちに重用されました。

太秦で見た猫?

神社やお寺の建物は、柱のところに「木鼻」っていう装飾的デッパリがある。
ふつうは、象とか獅子の形をしてるものなんですが、
三吉稲荷では「猫」。

これって、たぶん、入江たか子さんが、奉納したものじゃないでしょうか。
(調べたけど、今のところわかんない。)

「化け猫女優」
と揶揄された入江たか子さん。
どSな溝口健二監督に
「そんな演技だから化け猫映画にしか出られないっ!」
なんて、スタッフの前で愛の面罵をくらわされたこともあったらしい。

でも、彼女の思いはもっと深く広かった。
ツルギを治めるサヤ。
希望と確信をこめて、たか子さんは「」を奉納したんじゃにゃいか
…そう思っています。


¶ Footnotes:
  1. 黒澤監督「一番美しく」の寮母さん。 []
...

24
Jul
2008

QnapShots#039 夕立を恋う

  

雨社(岡崎神社)

夕立。
というものが、ない。

困っています。
かみさま。
降らせてね。

あと、朝立も、このごろ、ないです。

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27
Jul
2008

QnapShots#040 「おそらにみしるし」

  

ハリストス正教会1

あれのにみつかい。
おそらにみしるし。

ほめうた、うたう。

京都ハリストス正教会にて。

...