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たら本46 「つい、うっかり」 〜 ホフマン「悪魔の霊酒」

  

「つい、うっかり」
…というのは、いたくフロイトの興味を惹くものだったようです。
錯誤行為、と精神分析では呼ばれます。
うっかり…偶発的におこなっているように見えて、
じつは無意識の意図がある。
そう勘ぐってみるのが、フロイトのやり口。

でも、古代から人は、何となくこのことに気づいていたらしい。
悪魔(=神)は最初、「つい、うっかり」の形で、囁きかける。
「魔がさす」という。
事件のあと、当事者から発せられる「つい、うっかり」は常套句。

それに運命もまた、
「つい、うっかり」の姿で来訪する

神様は「つい、うっかり」な仕方で、世界を設計したのだから。
天網恢々,疏にして漏らさず。

悪魔の霊酒〈上〉 (ちくま文庫)
エルンスト・テーオドール・アマデーウス ホフマン
¥ 1,260 / 筑摩書房
( 2006-04 )
通常24時間以内に発送

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6
Nov
2008

たら本46、開催中!

  

たら本46「つい、うっかり殺人事件」(光沢あり)

たら本46、開催中です。
主催者さまは、「時々、読書感想文。」の、おなじみ菊花さん
お題は、「つい、うっかり」。

第46回「つい、うっかり」
本にまつわる貴方の「つい、うっかり」なエピソード
または、
「つい、うっかり」が描かれている本を教えてください。

例えば、
本を読んでいたら電車を乗り過ごした。表紙だけ見て本を大人買いした。アマゾンを見ているだけのつもりが購入ボタンをクリックしていた…。そんな「つい、うっかり」エピソード。
あるいは、
「裸足でかけてく、陽気な♪」彼女など、「つい、うっかり」なトボケた登場人物は、小説やマンガの物語を転がす重要なキャラクターとして人気者。そういった人物や事件が登場する本の紹介でもOKです。

「時々、読書感想文。」


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19
Sep
2008

村上春樹がタイム誌で読者の質問に答える

  

雑誌TIMEを読んでたら、村上春樹さんが読者からの十の質問に答える、という記事がありました。
1ページぽっきりの、ちっちゃな記事。10 Questions というシリーズです。

10 Questions for Haruki Murakami - TIME

「一番好きな小説は?」 −グレート・ギャツビー。
「マラソンの魅力は?」 −長編を書くのには、集中と忍耐がいるけれど、
マラソンは忍耐力をあたえてくれる。

…といった具合。

「小説はスタイルが重要。
文章が自然なリズムを持っているなら、
翻訳されてもそれはそこなわれない。」

「太古の洞窟で、狼の吠える夜闇に対抗して、
人々が火を囲み、物語のよき話し手に耳を傾ける。
自分もそんなふうに語るべき物語がある。」

…などなど。
興味深い発言も多いのですが、特に面白かったのは、

A good musician doesn’t know what’s going to happen next.
(すぐれたミュージシャンは、次の瞬間、何が起きるか、知らない。)

ジャズの即興の話をしているのですが、
自分の小説の書き方もそうなのだ、と春樹氏。

次回作は、もう二年近く、専念していて、
これまでで一番長い(つまりねじまき鳥クロニクルより長い?!)、
「very long, weird love story(すごく長くて、フシギな愛の物語)」になるそうです。
たいへん、楽しみです☆

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たら本45 「ご老体本。」

  

たら本45バナー私にはどうも、「老大家」の作品を
ありがたがる性癖があるようなのです。
(と、悩み相談風に始めてみる。)

今はそれほどでもないけれど、
十代二十代のころは、特にそうだった。
「最後の作品」とか、「未完に終わった遺稿」とか、
「作家が最後に到達した境地」とか。
そういうあざとい惹句が帯に踊ってたりすると、
ついつい手を出してみたくなる。

「老賢者」というファンタジーによく出てくるイメージ。
あれをどこかで信じてるんだと思う。
老いた人にだけ可能な「知恵」が存在していると。

自分が年をとるにつれ、
また自分の知ってた人が年寄りになっていくのを見るうち、
そうした「幻想」はだんだん幻滅に変わっていくわけですが(;・∀・)

…てなわけで、たら本45です。

今回は、「-scope」の時鳥さんが主催者さま。
お題は、

「ご老体本。」

本に出てくる魅力的なご老体、また、ご老体の書いた本、ご老体のための本、これからご老体になる人のための本、などなど、老人や老犬、老猫、老木、ほか、年老いたものに関する本をご紹介ください。

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11
Sep
2008

たら本45がもうすぐ始まるらしい。

  

たら本・第45回バナー

たら本45が、もうすぐ始まるらしいのです。
候補が乱立する中、水面下の調整がおこなわれ、ついに開催の運びとなりました。
美結さん、たいへんありがとうございます。
(じつは私はまったく働いていない…陳謝)

45回の主催者さまは、「-scope」の時鳥さん☆彡
敬老の日あたりに開催予定らしいです。
それが、お題のヒント(* ^ー゚)ノ
ある意味、今の日本でもっともホットな主題かもしれません。
私は、アニメ「RD 潜脳調査室」のファンなんで、このお題はけっこう萌えますね。(それと、「ぽっちゃり」w)

今回のバナーは、絵をルノワール画伯にお願いしました
百年前でも、今回のお題にぴったりの絵を描いてくれました。さすが流石、貴家遉(いろんな変換候補があるもんだ)。

たら本45バナー

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まっぷたつの神さま

  

太陽と月の起源

岩波文庫「シベリア民話集」所収の、「太陽と月」という話。
題名のとおり、太陽と月の起源について、かたるもの。

若者のからだを、妻と幽鬼ムイラクが取り合う。
引っ張りあった挙句、彼はまっぷたつに引き裂かれてしまう。
幽鬼は左半分をもって逃走、妻のもとには心臓のない右半分がのこされた。

若者は夜になると一人前の男になったが、朝がくると、また半分に戻ってしまう。
心臓なしで生きていられるのは、夜だけなのだ。
かくして妻は、昼のあいだは自分が大地を照らし(これは天界の出来事だから)、
妻が眠る夜のあいだは、夫である若者が照らすことになった。
太陽と月は、こういうわけでできたのだ。

ネツケ キュージョン (アシュラ男爵)

まっぷたつにされた若者。その半分のからだ。

この体には、目がひとつ、足が一本しかない。
どうやらその姿で、夜の天界そのものを象徴する。
ひとつだけある目は、月。
もしかすると本来は、心臓のある左半身が、太陽をひとつ目とする、昼の天神だったのかもしれない。

世界中に分布する片目片足の巨人の伝承。
…じつは天そのものを神と見立てたもの、という奇々怪々な説に、私はこだわっています。
ひとつしかない目玉は、太陽であり、大地を蹴る巨大な一本足(あるいは男根)は、雷であると。
ホルスも、キュクロプスも、ヴォータンも、ダイダラボッチも、片目片足の天神さんのヴァリエーション。
AZ::Blog はんなりと、あずき色☆: 一つ目の巨人
AZ::Blog はんなりと、あずき色☆: 泥田坊のこと
AZ::Blog はんなりと、あずき色☆: 太陽の瞳
AZ::Blog はんなりと、あずき色☆: 神の失われた瞳

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「荒涼館」のお岩さん

  

ロンドンのディケンズ、ロシアのドストエフスキー

「カラマーゾフの兄弟」「白痴」
といったドストエフスキーの大作が、
ロシア民話「イワンのばか」を下敷きに、
その象徴性を深読みして、巧みな変更を加えたもの
…ということを書いてみた前回

民話を元に、つむがれた近代小説。
これをさらにディケンズにも適用してみると、
深みにはまって面白いかも
…というのが、今回のお話です。

ドストエフスキーはディケンズが大好きでした。
「ディケンズでまだ読んでない作品があるなら、
それは君の人生の幸福が残されているということ、
なぜならまだ新しいディケンズを読むことができるんだから」
…そんなことを言っています。

ドストエフスキーの長編小説は、
ディケンズのロンドンをロシアに移植したもの。

そう言ってもいいくらい。

ディケンジアンは多いんです。
ドストエフスキーがディケンズをロシアに移植したように、
カフカはプラハに、
ジョイスはダブリンに、
フォークナーは南部アメリカに、
マルケスは南アメリカに、移植してみせた
…そんな文学の系譜は成り立つはず。
どこでも育つ強い根を持つ小説。*1

神に愛される子供、回心、価値の転倒

「神に愛される愚か者」こそが小説の主人公。
ドストエフスキーはこの考えを、イエスとドン・キホーテと
ピクウィック(ディケンズの最初の小説の登場人物)から学んだ。

ディケンズの作品の多くは、
「貧しい子供が、無垢ゆえの受難ののち、富を得る」という筋。
財産相続。結婚の主題。
「炭焼き長者」…愚か者の若者が
長者の娘と結ばれ、黄金を掘り出し大長者になる
…という民話と、
とてもよく似たモチーフになっています。

富とは何か、価値とは何か。
マネーとはちがう、価値の本当の意味を取り戻す
…「回心」といっていい、価値の転倒が起き、
キリスト教的な大団円が予定されています。
(クリスマス・キャロルの長者=スクルージが有名。)

もちろんディケンズは、「炭焼長者」なんて知らないですから。
民話を意図的にモチーフにしたわけでもないはず。
でも、なぜか似ている。

そもそもディケンズの生い立ちそのものが、
すでにオリバー・ツイストのよう。
貧しい子供が大作家になる。
資本主義が強大化するロンドンで、
マネーと価値の問題は生活の中心課題でした。
長者譚と形が似てくる理由はあるのです。

ディケンズは読み終えたあとから、
本当に「読む」ことがはじまる
作家。
ネルやエスタやドリットちゃんならこんなとき、どうするだろう」
読み終えたあとから、人生の折節に伴走するキャラクターたち。
登場人物の造型が的確なんですね。鋭く深く突き刺さる。
書かれなかったエピソードが無限に広がる。
作者の意図などはるかに越えて、読者が生きて育てていく物語。

ディケンズ「荒涼館」

日本の読書っ子は、ディケンズをあまり読んでこなかった。
それは例えば、ウィキペディア「荒涼館」の項目の、
日本と英語の極端な温度差にも現れています。
(日本の解説を書いた人は、たぶん「荒涼館」を読んでないですw)
しかし「荒涼館」は、小説というジャンルの最高の達成のひとつ。

荒涼館 - Wikipedia
Bleak House - Wikipedia, the free encyclopedia

ディケンズ・フェロウシップ日本支部 ディケンズ:Bleak House:梗概

ディケンズの魅力は筋の面白さ、キャラクターの端的な造型、
そして文章の曲折(あや)にある。
限りなく浅く読むことも、
限りなく深く読むこともできるあやうさが、ディケンズ作品にある。
その象徴性をどう読み取るかで。
読者の生きてきた生の深さまで測られるか知れない。
後期ディケンズは中年以降の読書と言えそう。

「荒涼館」は遺産相続をめぐる裁判
ジャーンディスvsジャーンディス」から始まる。
何世代にもわたってうち続くこの裁判。
あまりに複雑化し、もはや誰もその全貌を知らない。
数万ページに及ぶ裁判書類は、発狂者や自殺者を派生し、
裁判に関わったものの心を汚していく。

カフカの「審判」はおそらくここから由来しています。
この裁判はきわめて象徴的なもの…として読むことができます。
(裁判の終わり方も、カフカ的にシンボリック。)

この長大で複雑な作品のあらすじを、
紹介するわけにもいかないのです。
無垢な子供たちの受難、アダルトチャイルドのスキムポール
…書いてみたい話題はたくさんある。
人体自然発火現象の異様な描写が続く文章は、
ナボコフがものすごい勢いで誉めちぎっています

ともあれ主人公のエスタ・サマソンは、
話の途中で天然痘をわずらい、顔にあとが残ります。
でも、彼女は本当の美しさを知る男と結ばれ、
最後は幸せになる…というのが結末。

ひとつひとつのエピソードのあらすじを取り出すと、
民話のようにシンプルで、
神話的な何かに触れていることを感じさせます。
そして、それらが複雑に絡み合って、深い象徴性を獲得する。

じつは「筋」だけ追うと破綻してるところもある。
ミステリーとして読もうとするのは、ちょっと方向が違っている。
おそらくそれは後期のディケンズが、
象徴性ということをより重んじたため。
だから、カフカはディケンズや
フロベールのよい読者になれたんです。
深読み病をわずらうフランツ☆

「荒涼館」のお岩さん

あえて思い切った誤読をしてみようと思うのです。
「荒涼館」の主人公エスタ・サマソンと、
四谷怪談のお岩さんが、同一人物なのではないか、と。

岩は、神話の段階では、イワナガヒメ(磐長姫)であったもの。
美人の妹・コノハナサクヤ姫と、醜女の姉・イワナガ。
東アジアに広く知られた神話によれば、
男が木花咲耶姫をめとることで、
その子孫である人類の命は、花のように儚くなった、と。
もしイワナガをめとっていれば、
命は石のように永遠であったものを。

逆に、イワナガを嫁にした男
…炭焼き長者がじつはそうなんですが、
彼の一族は永代にまで富栄える。

お岩さんは、関東地方でダイダラボッチとともに
形を変えながらかすかに伝承していたイワナガヒメの物語が、
かすかに残響しています。
「岩」という名前の不思議、*2
そして片目がつぶれた一つ目の姿で描かれること。
(これは、たぶん新説。かなり長い説明を要しますが、今は略…(;・∀・)

価値の転倒。
それが主題です。
醜女を嫁に迎える男が幸福になる。

「炭焼長者」では逆に、長者の娘が
ヘタレ男のところに嫁に来る、
というバリエーションを持っている。
嫁が家から持参した大切な小判を、
池の白鳥に投げつけて遊んでしまう、
物を知らないにも程がある、愚かな炭焼の若者。
でも、彼は「黄金」を宝とも知らず大量に持っていて、
やがて長者になる。
美と醜、黄金と幸福をめぐる、価値の転倒。*3

四谷怪談も本来は、価値の転倒と
ハッピーエンドが予定されているはずなんです。
でも、伊右衛門は、岩ではなく、
いわば、コノハナサクヤヒメのほうになびいていく。
ために、物語は不幸な結末を迎える。

岩は怨霊として、永遠の生命を得る。
赤穂浪士の討ち入りが、民衆の心のうちでは肯定されながら、
公には否定されてしまう社会での出来事。
八犬伝と維新は、まだ。夜明けは遠い。

京極夏彦は「嗤う伊右衛門」で、
あえて伊右衛門の態度を変更し、岩に寄り添わせた。
ぎりぎりのハッピーエンドが手向けられています。
フォークナーの「エミリーに薔薇を」のように。

ハッピーエンド

「荒涼館」は、
「even supposing でも、もしかしたら」
というエスタの独白で終わります。

何が「もしかしたら」なのかというと、
その直前の、「元の顔」をめぐる、夫君との対話を受けています。

“My dear Dame Durden,” said Allan, drawing my arm through his, “do you ever look in the glass?”
“You know I do; you see me do it.”
“And don’t you know that you are prettier than you ever were?”

「ねえ、ぼくのかわいい小さいおばさん」とアランは言いました。私の腕を引きよせながら。「君は鏡を見ないの?」
「知ってるじゃない。私が見てるところを、あなたも見ている」
「じゃあ、君は自分が前よりきれいになったことを知らないのかい?」

前よりきれいになったことを知らないのかい?」

エスタは自分を省みず、他人のことばかり考えて、
働きまくる娘としてずっと描かれてきた。
彼女のあだ名は、「小さいおばさん Dame Durden」なんです。
家政婦として登場し、浮浪児を助けて病気に感染する。
周りのことに一生懸命で、「自分自身を見ない」。

この小説の語りは、三人称の客観視点と、
エスタ・サマソンの一人称のふたつが、交互に現れる。
そして、「自分自身を見ない」エスタの出生の謎が、
大きなミステリーになっている。
彼女の顔がその鍵。
しかし、エスタは自分を見ない。
裁判にかかわる人々が、
「自分ばかり見る」病気に冒されているのとは対照的に。

たぶん、エスタの出自は、小説の語りそのものにある。
その点で「探偵」と似ています。
例えば金田一耕助は、事件を止めることにおいては無力であり、
ほとんど客観視点のように事件を眺めるばかり。
しかし、「正義」に対する感触が、
彼(三人称客観であるべきもの)を事件の現場の内に登場させる。
何もできないにせよ、彼は見る。謎を解く。泣く。
まるで神が無力な子供や、
みすぼらしい流浪人の姿でこの世に関与するように。

エスタは最後に、「もしかしたら」と自分を見る。
この世界に形あるものとして存在する。
みんなから見られるものとして。
お岩さんのように幽霊としてではなく、
この世のものとして永遠となる。

正確には彼女は、夫や子供たち、親しい人々が
こんなに美しいのだから、それだけで満足…
最後の最後に「でも、もしかしたら」と考える。
ナボコフは「荒涼館」の語りを分析して、
最後に三人称客観と一人称エスタが合流する、と述べています。
他人の世話ばかり焼く「小さいおばさん」として、
それはこの世界に実在するのです。

物語っていうのは、こんなふうに読んでいいんじゃないでしょうか。
というか、そんなふうに読んでしまっている私(;・∀・)
本を読み終えて閉じたあとから、ほんとの読解が始まる。
それは自分の人生といっしょに育っていくものであるはず。
神話や民話はそのように語りつがれてきたのですから。
イワナガヒメの断片は、このようにさまざまな場所に、
さまざまな仕方でうめこまれ生きてきたし、
これからも生きていく神話なんだと思います。*4

「鏡よ、鏡。
ほんとうに、美しいのは、
誰?」

でも、もしかしたら
…いちばんみにくく、みすぼらしいものが、そうなのかもしれない。
それは受難を経た、無垢なるものであるのだから。


¶ Footnotes:
  1. 中上健次は我知らず、
    日本の路地にそれを植えていた。
    長生きしてたら、自分はディケンズの転生だと名乗ったでしょう。 []
  2. しかも「岩」さんは文献上実在が確認される。 []
  3. もともとは「岩」から「黄金」が生まれる、
    という鉱山師(錬金術師)の伝説が背後にある。
    ユングをまたずとも、早い段階で「心理的」な寓意が読み取られているわけです。 []
  4. 民話の方が、神話の本来の姿をしていること。
    古事記に書かれたものなどに比べても。
    神様には名前がなく、姿をもって現れるときは、
    炭焼藤太だったり、なんとか太郎だったり。
    それはすぐそばにいる。
    というより、自分自身が生きているのが、
    神話なんだということ。 []
...

「イワンのばか」とカラマーゾフの兄弟

  

トルストイの寓話化で有名なロシア民話「イワンのばか」と、「カラマーゾフの兄弟」の関係について。無垢な愚か者が神に愛される、ということ。神は証明すべきものではなく、信仰すべきもの。わが邦では炭焼長者譚。...

6
Jul
2008

奇書の旅#001 「福来友吉博士著・透視と念写」

  

福来友吉博士著「透視と念写」

毎度まがまがしいお話を…というわけで、奇書を旅するシリーズを始めてみるのです。
第一回の今回は、千里眼事件で有名な福来友吉博士の「透視と念写」。
大ヒットホラー「リング」のモデルとなった、明治末から大正初めの、透視・念写の実験の記録です。
千里眼事件 - Wikipedia

この本、なんと福来博士じきじきの署名入り。
一緒に実験をした京大の今村博士に贈呈されたもののようです。
福来博士も手にした、本物。霊力を感じる。。
今は同志社大図書館にあり、以前は、下村孝太郎氏の蔵書だったらしい。(この本が旅したコネクションは興味深い。)

福来博士のサイン

念写。
オウム事件以前はテレビでよくやってました。ポラロイドに念を送る超能力少年とか。
その元祖が、福来博士の一連の実験。
密封された写真乾板に念を送って、文字や風景を映し出す。デジカメだと難しそう。

長尾婦人の念写

ラジウムやX線が話題になっていた時代。
見えない何かが物質に影響する…そのことが異様に人々の胸を踊らせていた。
もしかすると、人間にだって目に見えるのとはちがう仕方で物を捉えたり、
放射線のようなものを発してフィルムを感光させたりできるんじゃないか。
「科学」の名において人々はそんな空想にふけっていた。

科学上の新発見は、意外と人間の妄想を刺激するもの。
「こんなことがありえてしまうのなら、あんなことも」とSF的連想力が活性化する。
当時の新聞には、連日のように、日本中の「千里眼」たちが報告されていたそうです。

疑問の余地なき事

「透視の事実たることは最早疑ふべき余地の無いことである。」
そう断言する福来友吉は当時、東京帝大の助教授で、変態心理学を専攻する文学博士。
人間の心の深層、意識の外側にあるようなものに興味を持っていた。
理科系じゃないんです。懐疑的に実験を行っているんじゃない。

学業のどこかの段階で、ヨーロッパの神秘思潮に、触れていたはず。
日本では「こっくりさん」などは民間のブームだけど、
ヨーロッパの降霊術は知識人や権力階級の社交的な場でたびたびブームに。
フリーメーソンのような神秘思想を背景にした秘密結社の伝統もある。
もともと科学とオカルト的なものとは、手を携えて進んできた。
世界のうちに隠された神意を見出す…という信仰。

「透視と念写」奥付

ヨーロッパ文学を専攻して、ブレイクとかベーメの研究をしていれば、
「事件」もなく、大きな業績を残せたかなあ。。
振り返って言うのはやさしいけれど、自分が何をやりたいか、何に向いているのか、
何をやっているのかさえ、人生の途上ではよくわからないから。
死なないと、人は人の形にならない。

この本で、三番目の「能力者」高橋貞子のケースでは、
彼女自身の意識を越えた「霊格」なるものが登場。
英国の詩人イエイツが、催眠状態の妻の自動書記に、
人智を越えた世界からのメッセージを読み取ったのとよく似ています。

千里眼事件―科学とオカルトの明治日本 (平凡社新書)


長山 靖生
¥ 756 / 平凡社
( 2005-11 )
通常24時間以内に発送

本書の表紙の赤色及び扇の模様は高橋夫人の霊格の指図に基きて工夫されたものである。

高橋夫人は「能力者」のひとり、名前は貞子さん。
「リング」の貞子は、ここから採ってるようです。井戸には落とされてませんが。たぶん。
ふっくらかわいらしい女性。髪型がAKIRAに出てくるミヤコさま風。
そういえば、井戸の方の貞子さんは、ダビング10を喜んでるんでしょうかねえ。
DVDでは苦労したにちがいない。今度はブルーレイだし。念写もデジカメだと難しい。デジタルに弱い呪い。。

以下の御影は、高橋貞子さん、御船千鶴子さん(服毒自殺、24歳)、長尾郁子さん(実験後まもなくインフルエンザで死亡)。

能力者たち3・高橋貞子さん
能力者たち1・御船千鶴子
能力者たち2・長尾郁子さん

この本を出したあと、福来博士は、追放のような形で東大を休職。
どういう人縁があったのか、その後、高野山大学のほうで、研究を進めていく。
昭和になってからは、ヨーロッパのスピリチュアリストたちと交流、「透視と念写」の英訳も(Claivoyance and Thoughtgraphy 1928)。
晩年は土井晩翠志賀潔と知己を得、心霊研究の会を立ち上げたり。この頃は少し幸せだっただろうか。
実験という方法ではアンチノミーに陥るだけ。それは信のこと…生きていくことのうちに見出さなければならない。
昭和27年没。83歳の長寿でした。不思議な人生。

透視も念写も事実である  ――福来友吉と千里眼事件


寺沢 龍
¥ 1,890 / 草思社
( 2004-01-25 )
通常3~5週間以内に発送

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22
Jun
2008

たら本第44回 種子を蒔くもの、花と緑の物語

  

たら本44回バナーさて、たら本です。
44回は、GREENFIELDSの美結さん主催、お題は、「種子を蒔くもの、花と緑の物語」。

个个个个个 more trees 个个个个个

地球規模での環境変化が言われて久しいのですが、事態はどんどん進行しているようです。ごく身近なレベルまで、さまざまな形で影響が現れているこの頃。
環境問題は、「地球規模」であると同時に、路傍の草花のような小さな命のいとなみの話でもある。
巨視的な問題と微視的な問題がおたがいにかかわっていること。これがエコロジーの基本だそうです。

たとえば「雀の毛槍」などは、私らが描いてもてあそんだのは、もっと茎が長々として花の総が大きく、絵にある行列のお供の槍とよく似ていた。母子草もこちらのは、餅に入れるほどにもふっくりと伸びず、小さなうちにももう花が咲いてしまうのは風土のためであろう。すみればかりは関東の野のほうが種類も多く、色もずっとあざやかなように思われるが、蒲公英もまだ紫雲英も、花がやや少なくかつ色が寂しい。ただその埋め合わせに野木瓜とか山吹とか、故郷で覚えていないさまざまの花が、この野の春色を豊かにしているのである。昭和三年のはじめての春は楽しかった。もしも幸いにこの家に十年、何事もなくて住みつづけることができたら、草の話を小さな一巻に集めて、子供や古い老人に読んでもらおう…。
柳田國男「野草雑記・野鳥雑記

昭和三年、民俗学という新しい学問の確立と発展を目指して、ばりばり仕事をしていた柳田。仕事場として、新居を喜多見(今の世田谷区成城)に得た。
ところが激務の一方で、上のように、庭や近所の路傍の雑草に目をやっては、事細かに思いをはせる。
少年の頃、故郷の播磨に見た草木の印象を呼び起こしながら、目前の小さな命の微細な表情を嬉々として描写しています。

いつも柳田國男で不思議なのは、こうした、誰も目を向けない小さな端っこへと心をさまよわせながら、一方でメインストリームの巨大な業績を打ち立てるという、二重性。いや、それとこれがつながっていること。
民俗学に専念する前、官僚として高い役職にあったそろそろ四十郎の柳田は、休日にはダイダラボッチの足跡をもとめて、東京郊外をさみしくさまよい歩いたりしています。
それはどういう心の動きなんだろう。

文字に書かれたり、遺物や伝承などの大きな痕跡を残したものよりも、跡形もなく消えてしまった名もなき小さき末梢的なもののほうが、ずっと多い、という真実。証拠が残ってないから、証明はできない。
ここが柳田の出発点。
ほとんどの人間は、たしかにこの世に生きていたにもかかわらず、ほとんど何の痕跡も残すことなく、歴史の向こうへ消えていく。
柳田がいつも思っていたのは、そうしたあり方であり、それが少年・柳田の、「日本一小さい家」での生だったのでしょう。

个个个个个个 more trees 个个个个个个

さて、今回のお題でとりあげたいのは、ダーウィンの「ミミズと土」。
ダーウィン最晩年の研究で、ミミズの話です。

ミミズと土 (平凡社ライブラリー)


チャールズ ダーウィン
¥ 1,223 / 平凡社
( 1994-06 )
通常24時間以内に発送

ダーウィンのミミズの研究 (たくさんのふしぎ傑作集)


新妻 昭夫
¥ 1,365 / 福音館書店
( 2000-06 )
通常24時間以内に発送

花と緑を支えるのは土。そして、その腐葉土はミミズの糞便が正体。
偉大なダーウィンには、もちろん植物の素晴らしい研究もあるのですが、入手しやすくて読みやすいこと、すべての命はつながっていることから、このミミズ本を取り上げてみます。

ミミズは、最初にほとんどの人々が考えるよりも、世界の歴史において、より重要な役割を果たしている。
チャールズ・ダーウィン

ミミズの微細な生命活動が、地球環境に絶大な影響を与えていることを論じたもの。
ダーウィンの多くの論文同様、現在の生物学の水準でも、十分に先端といえる、きわめて綿密で独創的な研究。

微細なものが、時間をかけて積み重なり、巨大なものを動かす。
これがダーウィンの考え方の基本。まさにエコロジーの元祖。

ダーウィンの初期の研究は、珊瑚礁がどうやって出来るかというものでした。
ラグーンとかバリアリーフとか、南の海の、珊瑚礁が輪っかになって島を取り囲んでいる地形。
サンゴ虫という非常に微細な生命が、長い年月をかけて、巨大地形を生み出す。
島の沈降と、珊瑚の形成によって、あのリングの地形が生じることを、ダーウィンが論じ、これが実際に起きている現象であると証明されたのは、はるかのち。皮肉にもビキニの核実験跡を掘削調査した時のこと。
天才ダーウィン。

个个个个个个个个 more trees 个个个个个个个个

そして、ダーウィンといえば、進化論。
これも、微細な個体の変化が、長い長い時間をかけて、種の隔たりを生み出す、というもの。
「種の起源」は細かいところまですごく丁寧に、しかも大胆に考え抜かれていて、まさに「ミミズ的」天才の偉業。微細な知性の躍動が巨大な成果を生む。
ひとつひとつのことがらは難しいわけではないけど、あまりに事細かすぎて、学者でない読者には煩雑でもあり、まあ全部を全部読む必要もないんですが(笑)、この周到さ、考え抜かれていることは、驚き。

ダーウィン―進化の海を旅する (「知の再発見」双書)


パトリック トール
¥ 1,470 / 創元社
( 2001-10 )
通常24時間以内に発送

もともとダーウィンは、生物の分類方法に、新発想をもたらそうとしていたそうです。
世界をかけめぐるようになった近代ヨーロッパ。地球上のありとあらゆる珍奇な生物の情報が蓄積される。
これを分類しようとするわけですが、まあふつうはまず、特徴的な形や機能で類似するものを「仲間」とみなす。
だけど、これだと、例えばシャチとサメは、同じ仲間になってしまう。コウモリと鳥なんかもそう。

ちがう方法がある。
クジラの骨をよく調べると、まるで「特徴的」でもなく、「機能」もしていないけれど、後ろ足がある。
これはかつて「足」があった証拠で、泳ぐのには役に立たないので、だんだん目立たなくなってしまったものだ、と。
ヘビにも「足の痕跡」があるし、ヒトには尻尾の痕跡がある。
コウモリの翼は、よく見ると指になっている。

このように、またしても、誰もが目を向けない、微細で脇役の「痕跡」に目をむける。
むしろそれが重要なんだという逆転の発想で、さまざまな生物の形をトポロジカルにつないでいく。*1

隅っこにあって、誰の注目も浴びず、何の役にも立ってない、ほとんど存在していないほどの小さな営み。
ところが、それらが、長い長い時間をかけて積み重なり、地球全体や宇宙といった、いちばん大きな動きに決定的影響を与えている。
このアイデアが結局、正論だった。
真ん中にあって、みんなの目を引き、価値そのものであって、決定的な役割を果たしているように見えるものが、じつはそれほどでもない、という考え。ゲーテなんかとは対極にある。
人間の作った大神殿の遺跡が、ミミズの作用によって、だんだん地中深く埋もれて、見えなくなってしまう。
…奇妙に寓意的にひびく、ダーウィンの最後の研究、「ミミズと土」。

「種の起源」は読むのが煩瑣ですが、この本は小さくて、いっけんどうでもよいようなことが発見的に、うれしそうに描写されていてます。ちょっと小説みたいな印象を残す。この人は明らかにミミズが好き。

いろいろなものを食べる動物は、味覚を持っていると推測していいだろうし、このことは、ミミズについても確実にあてはまる。ミミズはキャベツの葉を非常に好んで食べる。ミミズはまたキャベツの品種も識別できるようである。しかしながら、このことは多分、キャベツの膚ざわりのちがいによるものだろう。
ダーウィン「ミミズと土」(p35)

「キャベツの膚ざわり」って…ミミズの食生活に感情移入しとる。。

个个个个个个个个个个 more trees 个个个个个个个个个个

ダーウィン著作集〈1〉人間の進化と性淘汰(1)


チャールズ・R. ダーウィン
¥ 3,990 / 文一総合出版
( 1999-09 )
通常3~5週間以内に発送

ダーウィンの著作は、今、新しい日本語訳が進行しています。( ダーウィン著作集〈別巻1〉現代によみがえるダーウィン
翻訳に当たってる研究者は、ダーウィンの新しさ、その研究の多くが、今でも現役で通用することに驚いている。何度も「乗り越えられ」「ダーウィンは死んだ」はずなのにw
「ミミズと土」では、「ミミズの知性」ということをしきりと解くダーウィン。
なぜ性が存在するのか、道徳や利他性はどのように獲得されてきたのか、感情の表現は生物にとって何を意味しているのか…といった、生物学から出発しながらも、はるかな地平をもつ、いくつもの先駆的研究が、ダーウィンにはあるそうです。どれも、現在の研究者にとっても、非常に刺激的らしい。
大きいことの原因を、小さなみすぼらしいものに見出していく方法が、そこでも採られているはず。

環境問題は「正義」という価値と結びつきやすく、権力やマネーとからんで今後多くの「大きな」問題をはらむことになるでしょうが、そんなとき、いつもダーウィンの発想に戻って、ミミズの様子を観察してみることが、突破口になるにちがいありません。


¶ Footnotes:
  1. 当時の主流の学者は、この世界を神が作ったという前提を何らかの形で承認していたせいもあり、暗黙のうちに、「世界の意味」を求めている。
    何の役にも立ってない部分は、恐竜の骨とともに、大いなる謎だったそうです。
    「進化」「変化」という発想をとるにしても、それらの痕跡はもとは「完璧な状態」にあり、理想の原生物していたか、未来に存在するのだと考えたがる。
    ナチスで悪名高い「優生学」は、いつもダーウィンと結びつけられるのですが、実際にはダーウィンの進化論が示す「適者」は、「理想」や「優れている」という考えと関係がない。
    むしろ、あまりにも「人間中心」的でなさすぎるので、ついていくのがたいへんなくらい。
    アメリカでは、キリスト教的な観点から、進化論を学校で教えないという運動が、つよい政治力をもっていて、「科学的」なわれわれはそれを笑いがちですが、ダーウィンの発想を徹底するのは、けっこうパワーがいるのかもしれません。 []
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